知恵と信仰について考えてみた。 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

表題の件を考えて、考えて、考え尽くした。

で、答えは出なかった(笑)。

ただ言えることは
1. 知恵を愛することは善である。
2. 疑おうと思えばどこまでも疑える。
3. 絶望は絶対である。
4. 対象物が無くても信仰は存在する。

くらいの所で限界です(笑)。

信じられない速度で進化するテクノロジーのみを推奨すれば、美と倫理は必ずないがしろになります。
無知と停滞が良いわけではありません。
その中庸を「愛」に片づけるのは楽ですが、愛情を持って信仰することはあっても、愛情を持って勉強や研究や仕事に携わるでしょうか?

「結果は冷徹なもの」
として受け止めれば、冷徹なあなたを受け止める「誰か」がいます。

「愛」って万物の不文律を飲み込むことかな?って思いました。
いつもの甘い戯言ですか?

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こんなイメージの?
知識の飴は丸飲みしないほうが良さそうですね。

明日は偶像崇拝について書きたいです。