と述べました。
では善と悪とは?
キルケゴールは言います。
「善は謙虚さと心がけ、悪は才能。」
そう、誰しも心がけ次第で善良になれるのです。
しかし、善良を選択すれば、「善なる営み」に縛られ、儀式的な退屈が付きまといます。
それでも自らを善良と宣言する人はいます。
しかし、自らの悪を悪と宣言する勇気は無いものなのです。
悪の排除が目的ではありません。
悪の才能を認める事です。それは天分なのです。
世の中が善に向かう限り、善の天分は必要ないのです。
心がけ次第なのです。
だからこそ悪の天分をわきまえ、認め、宣言する勇気を持つことが大切と思います。
梨盗みや情事を「告白」した偉大なる教父アウグストゥヌスの様に!
私は性善説です。
しかし、他人は
「人間は完璧でないから、善人ではないから、悪を為さないものはいないから。」
と言います。
そういう人ほど
「私は罪深き悪人です。ですが、目指すべく志は善良に向かう途中、途上です。」
と決して言いません。
またそういう人ほど他者からの同様の指摘を認めないでしょう(笑)。

この子にもどれだけの悪の天分があるでしょうか(笑)?
「人は完璧ではない。」のセリフは、
一度は全力で、内なる善と悪全てを放出してから言いたいものです。
「先んずれば人を制する」by真田昌幸