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狂言士である観阿弥とその息子の世阿弥は、時の将軍、足利義満の後ろ楯の下、狂言を伝統芸能にまで発展させました。
ここまでが教科書です。しかし、疑問があります。
そもそも狂言とは「社会批判」をテーマとしているのです。
批判の最も矢面に立つ将軍が何故、狂言と言う対立する芸術を保護したのか?
答えはシンプルです。
足利義満

(写真 出展 一休さん)
は当時十代の美少年であった世阿弥を

個人的に愛していたからです。
狂言の中でどれだけ自分を批判されようとも、二人の愛は普遍だったのです。
それにより義満公は自らの批判を寛容に受け止める名君として金閣寺と共に名を残すこととなりました。
また、世阿弥の言葉

の初心とは「初恋」とも受け止めることが出来ます。
きっと世阿弥って漠然と

こんなイメージと思います(笑)。
あと蛇足ですがそもそも狂言とは「能」の幕間にある「寸劇」にすぎません。
もとやさんが能の偉いさんから宗家を継ぐのを認められなかったのも、結局、断然的に能のほうが狂言よりも格上だからなのです。
もとやさんも、今こそ自らの芸術で社会を正して欲しいものです。
まぁ、彼が最も初心を忘れた人だから難しいでしょうが(笑)
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う~ん、現在ではもとやさんより奥さんの方がテレビで観ますね(笑)。
一休さんはやはり名作アニメだと思います。