
画像は銀閣寺です。
「どうしてシルバーが貼り付けてないんだ!?」と誰しも一度は思うあの銀閣寺です。
何故、銀閣寺に銀が貼り付けてないか?
それは銀閣寺が、「貼り付けてないことに意味する」、「侘び(わび)」の心の象徴だからです。
侘びとは?
それは
「充たされないことに満足する穏やかな気持ち」
です。
当時の足利義政の政権は、金閣寺の義満時代より、財政は困窮していました。
そこで義政は、見た目の豪華さよりも、人々の心に訴えかける自然体の美しさ、「もののあわれ」を重視したのです。

この画像は雪の積もった銀閣寺ですが、この景色に「銀」を見出すのは容易なはずです。
そう、銀閣寺の銀は見る人々の心に存在するのです。
降り注ぐ「雪」が訴えかける「あわれ」は本物の「銀」に勝り、「金」をも凌ぐのです。
これこそが「侘び」であり、茶道や華道の本質であり、豪奢(ごうしゃ)を忌み、蓄財を蔑み(さげすむ)、
「節制」の本質です。
武士道に於いて、節制とは本来、「心の安らかさ」を求める為なのです。
皆様の中で高級レストランのディナーが嫌いと言う人はいないでしょう。
また、母親が冷蔵庫の残り物で作った、炒め物や煮物にも格別の味を感じるのではありませんか?
前者は豪華、豪奢、贅沢です。
後者は侘び、節約、節制です。
節制とは最初から貧しさを求めるのでは無く、そして蓄財の為でもありません。
心の安らかさから得る、「知恵に満足する」為なのです。
しかし、この「節制」を権力者に押し付けられるほど、辛く、悲しいことは無いでしょう。
欧米諸国に影響を及ぼしたアリストテレスは
「王に叡知、騎士に勇気、庶民に節制」と訴えました。
確かに庶民が、絢爛豪華な物を奪い合う世界より、節約をわきまえた社会の方が理想的でしょう。
しかし、「王の叡知」とは本来、
「道徳心を修得する為に必要な知恵」
だったはずが
「権力者による学問の独占」に変化するのです。
そして学問と見かけの道徳を独占した権力者が庶民に
「上から命令される我慢という節約」を節制と定義されるのでした。
この社会は市民革命の成功まで続き、武士道と欧米社会は決定的に違いを帯びるのでした。
明日からは連続して「武士道」を掘り下げたいです。