「愛し続けることは難しいが、憎しみ続けることは更に難しい」です。
記憶は都合良く改竄され、忘却は目標を未来に向かうことを示唆します。
カウンセラーも
「母は周囲の和を一番に働いて来た様ですが、家族と勤め先の『利益』の為に働く父の不在は大きい」と指摘されました。
そう、問題は父の不在で無く、「自分の感情の不在」なのです。
父の愛なく育てられた私は、社会に不安を抱き、「嫌われながらも社会で結果を残す父の背中」を見てません。
あるのは母の理念と理想を無批判に「教育」された私です。
そんな愛すべき両親 が共通に私に言った言葉が
「女の子が良かった」
これが34になっても私の内面の一部を支配する、最大のトラウマです。
最愛の母に言われ、最も憎い父に同じことを言われてしまえば
「自分の否定と抹殺」
がスタートします。
カウンセラーの指摘した
「自己の不在」
です。
本の世界に逃げれば、母の言葉はどの賢者よりも素晴らしく心に響き、本を読むほど父は偉人に比べ英雄でないことを把握しました。
しかし、前述の通り人を憎み続けることは難しいですね。
結婚して理解したこと。
「父は親には成れなかった。しかし母のパートナーではあった」と思えるようになりました。
幼きころに家族四人で狭いお風呂に入り、母が兄の髪を洗ってる間、母は「浴槽が深いから私の手を離さず握って立たせてて」
と父に念を押したのに、すっかり忘れっぱ。自らのヒゲを剃り出し、手を離された私は狭いお風呂で溺れました(笑)。
泣き叫びぶ私をBGMに母は父に説教してました。
本当にあの時父に手を離された時が永遠の決別だったんだなと今やっと整理が突きました。
しかし、「過去の私の自分不在」は続きます。
鏡を見ると母に
「鏡を見たらどうしていつもこの顔(自分の姿)が映るの?」と質問したことがあるそうです。
「それが自分」と認識できるまでかなりの年月を費やしました
明日は母を驚かせた少年時代の「名言(迷言)」特集したいです。