「夢」二つの意味 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

哲学とかで無く、単純な疑問です。

「夢」明らかに違う二つの意味を持っているこの単語は本当に不思議です。

どうして「夜見る夢」、「叶える(たい)夢」って説明がいるのかな?

希望や願望と
無意識や幻。

何故?

どちらも「一人歩き」するから?

昔、ある野球選手が座右の銘に
「夢は見る物でなく持つ物だ」
当時中学生の自分には凄く響いた言葉でした。

願望の「叶い終わった姿」を描くだけでは不十分で
理想への「道のり」にこそ意味があると言うことでしょうか。

動物も睡眠時間に夢は見るそうですね。
突然、犬が飛び起きて何も無いところに叫びだすのは良くあることだそうです。
また、群れを統率するボス的な動物は、「より良く在りたい」と夢を持ってると思いたい。

目の前のボロ布に執着する猫の方が、無目的に儀式的に繰り返す人間より夢を持ってるのでは?

「歩いてる途中のお釈迦様」

「人生の目的は何ですか?」
と聞いたら
「足を出すことだよ」
と答えが返ってきた逸話がありました。
努力は特効薬ですが万能薬ではありません。
皆様、不完全性と不可能性。そして死の不可避を「努々(ゆめゆめ)」忘れませんように(笑)。

いろいろな意見お待ちしてます。