アウグスティヌスの「告白」は押韻が駆使され、韻文と言ってよく、きわめて優れた音楽的作品と言われています。
しかし「歌」として書かれず「散文」として書かれたのは、彼の複雑な心境が反映されてます。
「自分を賞賛しない様に、自分のことでむしろ神を賞賛するように」と言い続けました。
告白には三種の読者がいます。
1 アウグスティヌス個人を英雄扱いすること
2 告白の内容が立派すぎて読むこと、讃えることを敬遠する人
3 内容に共感し、今を生きてる不思議を感じれる人
アウグスティヌスは3を求めたはず。
だから冒頭で
「私を讃えないでください」ではじまり、最も語りたかったのは「信仰に背いた人間さえも、神の恵みで信仰に向けたこと」を伝えたかったのです。
キリスト教に置いて我を忘れて音楽や芸術に没頭することを「デモーニッシュ」悪魔的誘惑と述べ、神の前で理性的で居ることを目的とする彼らは、上手く煩悩と付き合って行く日本人と違います。
私は敢えて1 のアウグスティヌスのみ英雄でいいと思う。
私が本を(解説本で原書じゃないけど)読んで誰より英雄と思ったのですから。
「デモーニッシュ」については次回キルケゴールで語りたいです。