キケロ-彼の書物と人柄がアウグストゥヌスを導いた | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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修辞学-それは如何に聴衆を納得させるかと言う弁論方法を学ぶ学問。
当時は演説家と言う専門の職業もあったそうだ。

しかし、聴衆を惹き付けるテクニックとして、「心理操作」「身振りや発声方法」にウェイトが置かれるように変化して行く。
そして当時の修辞学は「言語、詩歌、演技をまとめたもの」と定義されています。
現代に於いては「言語表現に磨きをかける学問」と定義され、大学生のディベートや弁論部に近いかと思います。
前回で「裁判に勝つ為の学問」と極端な表現をしたことをお詫びします。

また、修辞学を学び、教えることが出来る様になるには「ホルテンシウス」と言う書物を勉強するのが、当時の学生の必須課題でした。

つまり「ホルテンシウス」を読んで良いレポートを上げれば、晴れて「修辞学教師」の免許が貰えたと言っても過言ではないでしょう。

さて、その「ホルテンシウス」と言う書物に若きアウグストゥヌスは惹き付けられます。「自分と神様を繋ぐ物」の様に感じたそうです。

そしてその内容は
「キケロと言う若き弁護士が、
地方自治体を相手どり『税金の取りすぎ』を告訴したのです。
政府側の弁護士には当時、優秀な『ホルテンシウスさん』が就きました。
『ホルテンシウス』と言う書物は敗色濃厚な裁判で勝利を勝ち取ったキケロさんを讃えた書物であり、
その勝利に至るまでのノウハウを学生は勉強し、立派な修辞学教師になって行ったのでした。
しかし、若きアウグストゥヌスはホルテンシウスの中に『修辞学のテクニック』では無くて『キケロの人柄』に惚れたと思います。
それが彼の言葉で言う
「私と神様を結びつける物。それは哲学でありこの書物である」
と述べる様になります。
アウグストゥヌスはその他のキケロの著作を読み漁ります。
間違いなくキケロ個人に惹かれてたはず。
それは「ホルテンシウス」内の「市民の為の弁護士」の態度と信念、つまり彼の哲学に惹き付けられたと思います。
それが彼自身哲学を学ぶ理由となったのは十分と思います。
また彼は自身の著作にて敢えて「キケロとか言う人~」
と言う表現を使います
それはそれだけ「立派なキケロさんも同じ人間で決して神様ではない」
って言い聞かせるためだと思う。

またキケロさんは後にローマの偉い政治家になりますが、
「帝政ローマに反対し、どこまでも共和制を訴えた」為にカエサル(シーザー)と対立し失脚するのです。市民の為に神を見たはず。