愛とキリスト教~教父と奇才のリンク | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

「神を知らずに生まれてきた。しかし、『愛し方』を教わった憶えはない」

はアウグストゥヌスの言葉です。

またキルケゴールは人間は
「不完全性、不可能性、そして死の不可避性を持ち合わせ生きなければならない」
と言ってます。

思うに、この人が永遠に抱える
「不都合に生まれてきた事」
を丸ごと「主」への信仰にキリスト教は当てはめてる気がする。

「神の愛は無限
神は万能
神は不滅」

って「一応定義する」と愛する側はゴールが無いから、ずっと信仰心を持っていられる。

「愛は比喩でしか捉えられない」はキルケゴールの言葉ですが、つまり「感じる」ことで断片的な愛情に引っかかるだけで人生は終わるのかも知れません。

「あなたが愛と思う全て、それ以外全ても愛の実体です」
by SPA-k
「辛い愛には楽しむ愛」
「結ばれる愛には耐える愛」
の互いの実存を知り合いましょうと言うことです。

また
「キリスト教はとゆるぎなく結婚を堅持する。
しかしキリスト教が初恋のエロス性(欲求)
を含んでいないなら、キリスト教は最大の発展とならない」
とキルケゴールは述べてます。
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こんなイメージ?

また奇才キルケゴールは
「結婚の後に愛が生まれると言う考え等は、
『鳥かごに放り込めば、自然とつがいになる』と言う鳩商人の考えだ」
と述べてます。

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こんなイメージ?

「今現在あなたは愛されてるから、
今現在愛することを教わらなくても知っている」

by SPA-k