詩と哲学1 ソクラテスの平行線~詩人の自己の作品に於ける無知 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
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ソクラテスは告発者で詩人のミレトスから
「ゼウスの神々を信じないで若者を堕落した罪」
に問われます。

周知の事実の通り、この裁判でソクラテスは有罪判決を受けます。
しかし、今回はそれまでのやりとりを
ソクラテスから見た詩人を中心に語りたいです。
ソクラテスは
「詩人として作品中、最も苦労した所とは?またそれが何を意味するか?」
を聞き質した。
しかし、同席した者(裁判所にいた者)の方が遥かに作者以上にその作品について説明を与えた。

ソクラテスは
「詩人による詩作は巫女の様に『超自然的要素』に依存している
また、
「詩人は同席した者(ソクラテスやミレトスに付いてる者)よりも美しい言葉を語るが、自ら語る真義については何ら理解してないのである」
そして、
「詩の作者よりも、読者の方がより多くの美しい言葉でその作品の評は語れる。」

但し読者は自らの評論を語れない。

ソクラテスの考える哲学者と詩人の絶対的に交わらない平行線は、詩人は芸術を優先するあまり、自分とその作品を振り返らず、努力よりも神秘的な力で作品を完成させているところと考えます。

追記 ソクラテスを有罪にしたミレトスは民衆から無裁判で死刑になってます