
写真はワラキア公ウ゛ラド=ツェペシ(1431-1474)
現在のルーマニアの王であったウ゛ラド二世の次男として生まれた彼は、緊張走る政治状態の下で育ちました。
13歳の時に父王はオスマン帝国(イスラム)に敗北し、ワラキアは属州となり、自分と弟のラドゥはオスマン帝国の人質となるのでした。
その三年後、父王と長男が暗殺されたのです!
キリスト教連合のハンガリーは、自分達の言いなりになるワラキアの王が欲しかったので、ウ゛ラドの又従兄弟を王に仕立てたのです。
兄と親の仇、そしてワラキアが欲しい人質元のオスマンとの利害が一致して、ウ゛ラドは見事にワラキアの土地を取り戻し、父と兄の仇討ちしました。
弱冠16歳の王の誕生でした。
だが、わずか2ヶ月で敗北し、亡命生活を送ることとなります。
しかし、彼は王の座を諦めることは出来ません。未だにオスマンの人質となっている弟のラドゥを返してもらうには、敗北は許されないのでした。
「弟の為に」
ウ゛ラド25歳にして遂にワラキア王に返り咲きます!
そしてオスマンからの独立を望み、帝国への税金の支払いを拒否したのです!
当然オスマンの使者が督促に来ます。
すると彼は使者を生きたまま串刺しにしたのです!(これがバンパイアは心臓に杭を打たないと死なない逸話です)
そして弟を取り戻すために強大なるオスマン帝国相手に無謀とも言える戦争が始まります。
そもそも国力が違います。
支援者もいません。
だがここで、戦争の天才ウ゛ラド三世の吸血鬼の血が覚醒します。
戦力の差を夜討ち(バンパイアは夜行性)と火攻め作戦(バンパイアは灰にしないと復活する)で補いました。
そして最大の作戦は当時死の病と恐れられた「ペスト」病の患者を敵地に放り込み、感染させたのです。(バンパイアは伝染)
「恐怖心」を巧みに操り勝利し、弟をり戻せると思った31歳の時、何と最愛の弟は敵国の王の「彼氏」になってたのです!
そしてオスマンの後ろ楯をもらい弟は自らワラキアの王を名乗りました。
ウ゛ラドは絶望した。逃げれたかも知れないのに、ハンガリーに捕まり、軟禁生活を選択します。
しかし、今度は妻が投身自殺するのです。
再々度、ウ゛ラドは立ち上がります。「神の為に」
勝つ為にカソリックの力を借りることに心傷めます(十字架嫌い)。この戦いで43歳の命が尽きました