
写真はご存知
千手観音(せんじゅかんのん)像です。
勿論、世界中探してもこんな女性居ません(笑)。
※観音様は女性です。
しかし、唯一神ではありません!
神の姿を描いたことにはなりません。
これは「仏様」と言う「死者のその後の姿」です。
生前にこんな姿になるはずありませんが、死後にこうなら無いとは言い切れません。
六道輪廻(りくどうりんね)の話に従えば、死後に地獄に堕ちたり、動物にさせられたり(畜生界)、もう一度人間に生まれ変わったりせずに、天界へ行けた者を「仏様」と呼びます。
そして天界で千手観音として生活してても「死」は存在します。千手観音が死んで人間界に転生することはあり得ます。
そして最大の目的は輪廻の輪を越えて極楽浄土(ごくらくじょうど)へ行き、二度と生まれ変わらないことです。
天界で暮らす種々様々な仏様の上で唯一神は極楽浄土にて存在するのかも知れません。
しかし、姿を描いた者を祀る限り、偶像崇拝です。
それはギリシャの多神教や神話と同じです。
神様がギリシャ人の姿で悪さをするのも、天界で千本の腕で生活するのも、イスラムやキリストの唯一神派からは同じに映るのかもしれません。
喜劇作家アリストファネスは語ります。
「人間は元々顔が二つに手足が四本ずつ。
丁度、二人の人間が背中合わせになった姿だったそうだ。
死角が無いために強く、傲慢なかつての人間達は、神々に戦争を仕掛けた。
そこでゼウスの怒りを買い、身体を半分にされ、今の人間が出来た。
『愛する』とは神話の昔からの片割れを探し求めることだ。」
とアリストファネスはあのソクラテスも居る酒の席で語ったのでした。
勿論これは彼の創作です。
しかし、「生まれる前から決まっている自分の半身」って言う運命の人探しに、「縁」の文化を感じました。
少しだけ大人な会話ですが、人間は未完成故にいつも満足していない。本当に満足できるのは運命の人と愛し合ってるその瞬間だけだと。
何故なら、元々の半分が一つになれて、その時だけが「本来の姿」だから。と聞いたことがあります。
死後の話は良く語られますが、産まれるよりも前に逸話を求めるのがギリシャと日本の類似点ですね。
明日も続きます。