めっちゃ個人的な趣味嗜好に走ります。
「越後の虎」こと

上杉謙信(うえすぎけんしん)(写真)は戦国大名の中でも、自分の為の侵略戦争は行いませんでした。
そして彼は必ず、
1. 内乱を平定する為
2. 自分を守るため
3. 誰かを守るため
の戦いしかしませんでした。
そして自らを北方を守護し、魔除けの神である

毘沙門天(びしゃもんてん)(写真)の化身と名乗りました。上杉軍の旗も「毘」一文字でした。
話は変わり、一神教に於いては八百万の神の役目を天使が担当してると思います。
「改源」で有名な風神さまは天使である風のラファエロが担当したかと思います(笑)。
しかし、一神教徒達は自らを天使の化身と名乗ら無かった。
それは神やキリストへの信仰の賜物か?
その通り。
しかし、私は多神教の神を名乗ることは同時に「全知全能の神」ではないと名乗ってるのと同義と考える。
八百万の神の一部分、自らの能力の「秀でた所だけ神である」と有限性を認めてたのではないかと考える。
もし西洋で「神の名において」はあっても「天使ミカエルの名において」って聞かない…。あるのかなあ?
もし自分だったら
「この炎はミカエルの聖なる炎だ。
今から邪教に魂を売った輩を焼き尽くす。
案ずるな。焼かれた者は永遠の園での暮らしが待っている」
てな具合にミカエル

を旗頭に凄く正当化して民を先導するだろうなあ(笑)。
上杉謙信の凄い所は毘沙門天は「魔除け」だから自分は「魔」と戦ってるって理由付けできたのが巧みです!
ちなみに戦争の神は何と同じ七福神の「大黒さん」なんです。
「お金の神」が(人間同士の)「戦争の神」と同一ってのも皮肉ですよね。
つまり神道の「神格化」は部分的で祀る方も祀られる方も完璧を期待してない「良い加減さ」がウリだったと解釈しました。