若き頃のアウグストゥヌスはマニ教の信者でした。
現代でこそ「異教」とされてますが、アウグストゥヌスを惹き付けた魅力はその教義の哲学的内容です。
アウグストゥヌスは時系列的な問題があるにせよ、
「ギリシャの哲学者はキリストを語らない」
ことに疑問を感じました。
それは後からキリストが生まれたこともありますが、裏返すと聖書に哲学的内容が乏しいことが原因でもあります。
その点マニ教は徹底的に聖書の矛盾を批判し、自分達こそ正しいキリスト教だと、カトリックを批判しました。
※実際にイエス自身はキリスト教を開いてません。教義内容を編纂したのは事実上はヨハネ=パウロです。
そのマニ教の内容とは、
この世界はまず光と闇が生まれ、
そして光と闇の壮大な戦争が起きたのです。
やがてその戦争の中で
「魂は光、肉体は闇の属性を持つ」者が生まれたのです。
それが人間です。
だからこそ、人間は肉体が闇の暴走をする=欲望。
その為には光なる魂の浄化が不可欠=理性
と言う教義です。
私は単純に、この教義はとてもロマンチックと思います。(笑)
そして聖書のアダムとイヴより、人間よりな教義内容が聞かされる側に近くて
「神様に丸投げ」「読み手の解釈次第」の聖書より哲学的興味を引き付けたと思いました。
しかし、アウグストゥヌスの友人は
「全ての者が神から作られたなら、
1. 闇も神が作った
2. 光は神に属すはず3. 戦ったとしても万能の神は負けるはずない。
とバッサリ切り捨てられました。(笑)
しかし、友人とマニ信徒のアウグストゥヌスの友情は問題なく続きます。
そしてこれがアウグストゥヌスがカトリックに「新プラトン主義」と「アリストテレスの学問」を持ち込むきっかけとなります。
神様はマニ教と言う「罪あるものを使役して」アウグストゥヌスに「神学」を完成させる功績をもたらしました
「ギリシャ哲学と学問」はマニ教排除には効果的でしたが、
カトリック信者はあまりにアウグストゥヌスが持ち込む哲学を無批判に受け入れすぎたのでした。
次回は「神学」と新プラトン主義を考察したいです。