学びと欲望 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

アウグストゥヌスは小学校も、小学校の教師も嫌いでした。
怠ける自分に体罰を振るうから当然です。
しかし、後年に自身の著書で
「体罰を振るった当人は、私とは別のことをしていたか?
くだらない討論で同僚の教師に負けたことで、心は怒りと妬みでにえくりかえっていたではないか。」
と述べてます。

つまり、学ばない自分は罰を受けて当然だが、教師は私達と同量の罪を負っているはずだ!
とアウグストゥヌスは言いたかったみたいです。

しかし、嫌々ながらも身についた勉学とその知識は、やがて彼が教師になる過程で大変役に立ちました。
そして彼は述べます。
「主は善くおこなわなかった人々を用いて、私の為に正しい報復をされた。」
そして、
「秩序はずれた魂はそれ自身にとって罰となるよう定められた。」
と解釈しています。
つまり
「ルールを破れば、既にルールを破っている奴から罰を受ける。そしてこの罰は神からのメッセージだと。」
って感じで私は解釈するのが精一杯です(笑)。
そして人間は完璧でない故に情欲溢れる世界で成功し、賞賛される。

大切なのは「罪ある賞賛に乗せられないこと。」
らしいです。
著書「告白」の中では「エウゲ、エウゲ」と言う言葉が繰り返し出てきます。
訳せば「いいぞ、やれやれ」
と言った囃し(はやし)立てだそうです。
「情欲溢れる人間社会では、その賞賛さえも情欲に溢れていることを忘れてはならない。」
by SPA-k って感じかな?
明日は更にアウグストゥヌスの若き頃の罪を掘り下げたいです