
偉大なる教父アウグストゥヌスでさえ、学生の時代は人妻との情事に耽っていた時がありました。
そんな彼を正しく導いたのは哲学でした。
彼は当時の学校の教材である「ホルテンシウス」という本に夢中になりました。
この「ホルテンシウス」はもはや現存しない本なのですが、内容は裁判記録です。
優秀な弁護士ホルテンシウスを、法廷で打ち負かした作者キケロの、弁論術を学ぶ為の教科書でした。
弁論術は修辞学とも言い、後にアウグストゥヌスはこの修辞学の教師となります。
しかし、彼を惹き付けたのは法廷論争のテクニックではなく、弁論する為の軸(相手側に対して主張するには自ら強い信念=哲学)に惹き付けられたのです。
それから彼はギリシャ哲学に傾倒(けいとう)し、普遍的真理の探求を続けます。
その時彼は疑問を持ちます。
「ギリシャの哲学に何故イエス=キリストが載ってないんだ。イエスは自らを真理だと言った。ならば真理を探求したギリシャの哲学者は何故キリストを語らない?」
これが彼をマニ教という異端の宗教に踏み込むきっかけとなったのでした。
まあキリスト教の方がギリシャ哲学より後に生まれたから当然なのですが…。
とかく熱心に信じる者ほど「自分達だけ正しい」と思いがちです。
自分達だけ正しいと思うのは人間として未成熟です。改善の予知があり、未来になって過去を振り返ると「過ち」と思うかもしれません。
しかし、「どちらがどれくらい、正しいか?」を正確に述べるのは不可能だし、それが出来ないのは、人間の不完全性故で、だからこそ人間なのです。
この場合、分類仕切れないことをしようとした自らを未来で「過ち」と振り返るでしょう。
写真はイスラム世界の赤十字を意味する「赤新月社」のマークです。
「神の為に」勇敢に戦った十字軍も、イスラム側からすれば「侵略者」です。
その侵略者のシンボルに医療がどうこう言われたくないですよね。
私はこの赤い三日月が、完全な満月とならない人間の不完全さを表現してるように見えるのです。
たとえ人間は不完全でも、繰り返す戦争は「未成熟ゆえに」と思いたいです