
「アテナの裁判官諸君よ
もしも我が息子達が徳を身につけることよりも蓄財(ちくざい)を優先し、
そうでもないのに、ひとかどの人間の様な顔をしたのならば
どうか叱責(しっせき)して悩ましてほしい」
これが法廷で死刑宣告をされたソクラテスの最後の弁明です。
そしてこれは死刑が宣告されながらも、自分に無罪の票を投じた裁判官だけに、ソクラテスが託した事実上の遺言です。
親なら息子達がお金を持っている方が安心、安全でしょう。
そして息子達が他人から叱られること、悩まされることを誰が望むでしょうか?
しかしソクラテスは何よりも息子達の「人間形成」即ち、
「人格者としての完成度」を優先しました。
その為にはお金が無くても、叱られても、悩み抜いた末に立派な徳ある人となってくれることを希望しました。
そして何よりも「知ったかぶり」を忌み嫌いました。
自らが「知恵あるかのように振る舞った」詩人に告発された結果なのですから当然でしょう。
またソクラテスの没後から約800年後に
アウグストゥヌス公は著書「告白」で
「罪とは神に背いて、神によって造られた物を見下し、
おのれを高き位置に置いて、
神を装う悪徳」
と述べてます。
「神は傲慢(ごうまん)の罪に対する抑止力(よくしりょく)である。自らの罪を知る時、その存在は時を同じくして知ることとなるであろう。」by SPA-k