哲学は考えることを考える学問である | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦-ファイル0028.jpg
嗚呼、誰かこのへーゲルの言葉を粉砕して下さい。

嗚呼、誰か「哲学とはそんなもんじゃない」と否定して下さい。(涙)

確かね。わかります。哲学を振りかざす人のイメージって、
信念や生きざまを頑固で偏屈(へんくつ)に空気読まずに語る奴ー。
なんて印象ですかね?
実際に哲学部でも、大半を先代の賢者達の「哲学史」に授業を割いていたら、文学や歴史と大差ないんですよね。

そして最大のジレンマが哲学って結局、「(そもそも)哲学とは何か?」
に大部分を費やしてしまい、自分、人間、神、存在、命等の形而(けいじ)までに到達しないんですよね。

だからへーゲルの言葉に負けてしまう…。「考えることを考える学問」だってさ。チープだ…。

しかし忘れてはいけないのは、
「人間は哲学無しの思考はあり得ない」
と言うことです。
つまり、
「魚は海を認識しない」
と言うことです。
哲学を持って(以て)哲学を論ずるのは不可能で、最初から備わっているからです。

だから最大限に私自身のへーゲルへの挑戦は、
「哲学とは知恵熱に対する解熱鎮痛薬である」by SPA-k
です。
考えすぎた時にあなたを救うのは先代の賢者の言葉とあなた自身の哲学なんです。しかし、熱冷ましでは対症療法でしかありません。根本治療は行動です。


追記 ロダンの考える人って地獄から這い上がる人を上から見下ろしながら「地獄について」考えてたんですね