なんか、腑に落ちないことがあった。
なんでだろう?
その根幹にはその人の「自分」がいないからだろう。
たとえば
太っている人が、「あまり食べ過ぎないようにしてくださいね。」と言うと、その人自身がその言葉の中にいない。
自分を棚に上げて。ってやつ。
食べ過ぎないように努力をしている人が言うなら、そこにはその人自身つまり、努力している「自分」と、意志を共有する「相手」がその言葉にいるから、聞いている方も素直に頷けるわけです。
だから、自分は置いといて、あなたはこうしてくださいね。は、筋違いなわけです。
それがたとえ、一般的に素晴らしい言葉だとしても同じことである。
「自分はみんなが幸せなら自分がどうなろうとそれでいいんです。」っていう一見素晴らしい言葉でさえ、自分を「棚に上げて」という種類の逃げがそこに含んでいると思うわけです。
わたしは、みんなが幸せなら幸せ。
じゃあ、みんなが不幸なら自分も不幸?
それは言い方を変えれば、幸せになる努力を自分ではしないで、他人の心境がどうこうで自分の心境、状況が変わるってことでしょう?
何が言いたいか?
自分で幸せを掴もうと必死に努力している人だけが幸せを語れるってこと。
「自分」を含むとはそういうこと。
つまり自分で放棄した何かを人に押しつけるな。って言いたいわけです。
「あなただけは」って言う言葉はどんなに素晴らしい言葉を並べようが、その根本には逃げや、無責任がある。
「自分だけ」も問題であり、「あなただけ」もおかしくなるわけです。
自分も相手も同じステージで、なにがあろうと自分の先を目指して、世を生きていくことが大切だと思うわけです。