子供の頃、大人の言葉は全てが正しいと思っていた時期ってあったでしょう。
すると、だんだん大人になるに連れて、大人の言葉が全て正しいわけではないことに気がつく。
むしろ、マナーの悪い大人がいて、マナーの良い子供がいたりして悲しくなる時もある。
人は大人だとか子供だとか、何年生きたとか、まだ青二才だとか、老人だろうが、偉人だろうが、凡人だろうが
「人間」であってそれ以上ではなくそれ以下でもない。
人と接していて気づくことがある。
歳や環境に関係なく人には"人間力"がそれぞれにある。
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今日、急ぎで空港からタクシーに乗った。
目的地が近場で、本当に申し訳ないなと思いながらも、謝って、運転手にお願いしたらすんごい不機嫌になって、怒られた。
タクシーの運転手曰く
自分は2時間も前から順番に並んでずっとお客さんを待っていたんだと。
だから、近場を要求した僕に本当に不機嫌にぶつぶつぶつ嫌味攻撃(笑)
さすがに僕も申し訳なくなったので、目的地に着くと料金の3倍くらい払って「ありがとうございました。」って言ってタクシーから出た。
まさかお客さんの僕がこんなに攻撃されるなんて夢にも思わなかった。
僕も急いでいたとはいえ、近場を要求したのが悪かったので申し訳ないんですけど。
ただね、ふと思った
もし、このタクシー運転手が2時間もお客さんを待って捕まえたお客さんが、近場を要求してきて、収入もほとんどない。損なことばかり。
↑の僕と同じパターンになったときに
本当は不機嫌になるだろうに、それでも嫌味ひとつなく、お客さんを不愉快にせずに、むしろお客さんをいい気分にさせて、感謝して、近場でも安心安全に目的地まで送ってくれたなら、その運転手は仕事を損得を越えて考えられる人だろう。
つまり、プロ。
僕はその人の人間力に尊敬の意を示すだろう。
生活がかかっているから、長時間待ってその結果「近場かよ」っていう気持ちももちろんわかります。
だから、その運転手にどうこう言うわけではないんですけど、ただ、ものごとを損得で考えると得することだけに意味を持つようになるな。って思った。
損をすることに悪影響しかないようにしか見えなくなる。自分に損をさせた人がお客さんでさえ憎くなる。
人間力とはつまり、一見、損するような出来事に有意義な意味を見つけられる力だろう。
または、感謝できる力だろう。
損得を越えて生きると、小さなことさえもそこには意味があることに気づくでしょう。
大人になるに連れて、人間力をつけていきたいなって思った出来事でした。