医者はこんな時救いの神に見える
淡々と今後の説明をする
造影剤を入れ患部に麻酔を注射するとのこと
え?麻酔で良くなるの?ヘルニアあるのに?

手術台に乗り、横向きになり背中を丸くする
温かいものが身体の中を流れる
レントゲンのような画像を見ながら腰に大きな注射。

病室に戻るが、造影剤を入れた後はあまり動いてはいけないとのこと。そして水分をたくさん取って少しでも早く体から出す。
トイレは?と思ったが看護師さんが良いというので行った。
そのあとが大変だった!
背中がコンクリートのように固まり身動きできない
食欲も全くない
先生を呼ぶと髄膜炎かもと言い出した!
え?なにそれ?
でももしそうだったら大変なことらしい、というのは伝わる。

幸い髄膜炎ではなかった。ほっ。。。
ではなんだったのか?造影剤の副作用?


てなことで救急車で運ばれた私は、すでに同じ病室で3ヶ月以上腰の痛みに耐えている女性に申し訳ないと思いながらも10日ほどで退院した。
それが3月の終わり。
少しずつ暖かくなり始めていた。

産業医との相談で、リハビリし、完全に給食業務ができるまでしっかり養生し、夏休みの復帰となった。

身体は痛みを覚えている。
ひょんな事からまたあの激痛が走るのかという恐怖を抱えながらも腰は順調に回復して行った。

近所のおじさんが杖をついてない私を見て、随分大きい人なんだなあ、と感心していた😰
毎日寝ているだけの生活。
でも子供達を食べさせなければ。
しかし立っていることもままならない。
腰は曲がったまま。
近くに住む母が通ってくれた。
高校生の長女は常に、ママ、大丈夫?と声をかけてくれる。
中学生の長男は黙って皿を洗う。
二男、三男は無邪気に寝ている私の周りでテレビゲーム。

整体に通う。
針治療に通う。
良いと思われることは何でもやってみる。
しかし一進一退で状況は変わらず。


3ヶ月ほど経ったある日の朝、トイレで力んだ時に腰に激痛が走った!
そのままトイレで倒れ込んだが全く動けず。
来てくれていた母に助けを求める。
どうしようもないことがわかると、慌てて救急車。

しかし、動けないので担架にも乗れない。
隊員は何とか私の身体の下に毛布を滑り込ませ、毛布ごと外に運び出した。
重かっただろうなあ。。

人生2回目の救急車。
痛みに耐えながらの救急車の中で目に飛び込んで来たのは心配そうに私を見つめる母。
いつまでも親不孝な娘だ。



仕事をしながら腰痛を治そうなんて甘かった。
まずは整形外科でお決まりの大量の湿布薬と通いのリハビリ。電気をかけたり遠赤外線で温めたり。
それが効かなくなると飲み薬。
その次は痛み止めの注射。

当時は4人の子供達の世話もあり、休む暇もなかった。
二男、三男は小学校でサッカークラブに所属し、土日は試合の車出しや、順番で 当番として練習を見守る係もやる。
忘れもしないある冬の日の土曜日。たまたま当番だったその日に雪が降り始めた。
コーチは子供達に、雪でもやりたいか?と聞く。
当然のことながら練習続行。

そのころには飲み薬と注射もあまり効かなくなっていた。
ベンチコートに包まって早く終わってくれることだけを祈った。

今思えば、もっと弱音を吐けなかったのだろうか。。
シングルマザーとして普段は子供達に寂しい思いをさせている負い目と罪悪感から、無理して長女と長男のバレー部の練習もできるだけ見に行っていた。



とうとうその日が来た。
忘れもしない平成12年の1月21日。
もう腰が限界だった。
痛みで何も持ち上げられなくなった。

医者に相談しとりあえず1ヶ月の休養を要する椎間板ヘルニアの診断で病欠することとなった。

就職して3年ほど経ったころから左の股関節に違和感を感じるようになった。
ガラスに映る自分の歩き方が。。あれ?なんか変だな。
車に乗るこむ時、足が持ち上がらないので運転席に座ってから両手で腿を持ち上げる。
ただ まだこの時は深刻に考えずに、そのうち良くなるだろうくらいに考えていた。

それから一年もすると今度は腰痛を感じるようになる。実際これは歪んだ股関節の弊害だったことが今ならわかる。
学校給食という仕事柄腰痛はつきものと思われるが全員がなるわけでもないので職業病とも言い難い。

まずは市販の腰痛ベルトをいろいろ試す。
そして間もなく整形外科にもかかろうかと考えるようになった。
自身の腰の形に合わせた腰痛ベルトを作ってくれるという整形にかかり、そこから一年ほどの腰痛との戦いが始まるのである。
学校給食の仕事は思った以上にハードだった。
どうりで筆記試験の他に体力テストや念入りな健康診断があるはずだ。
当初私は、レントゲン撮影の時に、自分の股関節が原因で職を得られなかったらどうしよう、と思った記憶がある。実際取り越し苦労ではあったのだが。。


しかし、この重労働は少しずつ私の左股関節にダメージを与えて行った。