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メインブログには書かないような推敲のない文章を書いています。

ミスiDっていうミスコンというか、オーディションがあります。

 

ちょっと長くなりますが引用。

「新しい時代にふさわしいまだ見たことのない女の子」を探す、講談社主催の女の子オーディションプロジェクト「ミスiD」(iDは「アイデンティティ」のiDであり、「アイドル」のiD)。

2012年開催の第一回目で発掘したのは、沖縄でひっそりとオーディションも受けずに過ごしていたハーフ美少女・玉城ティナ(当時14歳)。”美少女すぎて息もできない”と評されたルックスと不思議なスピリッツでViViモデルとして大ブレイク。
第二回目2014グランプリは宮城在住の蒼波純(当時12歳)。

~中略~

 

そのほか例をあげればキリのないジャンル度外視の才能を選ぶのは、テレビからアイドル、サブカルまで各界を代表する新しい才能による選考委員たち(近日発表)。そして選出後は、彼らのサポートも受けつつ、講談社各雑誌への起用、写真集、書籍、電子書籍などの多方面の展開。そしてユニット結成やCDデビュー、DVD発売、テレビ朝日生配信番組LoGiRL「ミスiDゴールド」や各種イベントへの出演など、その個性に合わせた方向性・展開を一緒に考え後押しします。

 

プロアマ問わずに加え、今年からは国籍、未婚既婚も問わず。

 

そして年齢も12歳から35歳までに拡大。タトゥーがあっても金髪でも引きこもりでもOK。

 

よくあるモデルや女優、アイドルのオーディションに応募をためらってるような、すべての女の子へ。

 

 

つまらない世界をおもしろくする「わたし」、待ってます。

ミスiDとは

 

で、今2017年のミスiDの審査が始まっていますが、一次審査の当落メールが順次送られているようで、twitter上では応募した女の子たちが悲喜交々となっています。

 

 

もちろん、これで優勝し、自分のやりたいこと(アイドルだったり女優だったり)を夢見て、応募する女の子の気持ちは純粋で大事なものだし、ふつうのオーディションに無い切り口、というのがこのミスiDの面白さでもあり、応募する子たちもそこの可能性を見出しているのだと思うんですが。

 

ただ、その面白さは、同時に気持ち悪さも感じさせます。

 

何がそう感じさせるんだろうと考えていたんですが、ひとつヒントになりそうな本がありました。

 

 


映画なしでは生きられない
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この本の第二章のなかで、著者の真魚八重子さんは、「文化系女子は、なぜサブカル有名人の彼女になりたがるのか」というタイトルで、次のようなことを書いています。

 

文化系女子は、自己表現によってアイデンティティを確立したいという欲が、大なり小なりある。(中略)

そういうときに起こるのが、「対象として価値を与えられること」だ。90年代わたしの周りで多かったのは、「写真家の××の被写体になった」という女性たちだった。それが彼女たちの自慢で、「見る目のある人」に自分の価値を見出されたというのは、アイデンティティになる。

(p.14-15)

 

なるほど、まさに。という感覚です。

先に、長々とコンセプトを引用したのは、そのコンセプトがここにある彼女たちの自尊心をいかにくすぐるものであるか、を示したかったからです。

 

上記のように、「ちょっと変わってて今はくすぶってるけど、本当は認められたい」女子たちにとって、飛びつきたくなるような内容なわけです。

 

そして、まさにその通りの女子が選ばれていきます。

 

 

2016年のミスiDのグランプリは「保紫萌香(ほしもえか)」さんでした。

(引用:ミスiD2016

絶対的な透明感、何物にも染まらないような存在感があるのと同時に、twitter等でのアイドルらしからぬ言動(とてもマトモなんですが、その感覚が卑屈に見えてしまうような)のギャップによって、圧倒的に支持されたようです。

 

 

 

たしかに間違いなくかわいいですね、普通な感じがいいです(小並感)。

 

一方で、当の本人は直近のツイキャスで、グランプリに選ばれて、変わってしまった日常や自分の周囲・または自分自身についての心中を、自分の言葉で語っています。

 

そのツイキャスはとても興味深いものです。

 

それまで信頼して良くしてもらっていた人が、実は芸能界の業界人よろしく下心をもっていた、ということがあったようで、先日の刺傷事件を想起させる思いをしたようです。

 

それでもそういう世界でやっていかなきゃいけないんだ、という気持ちと、だからといってそれをスルーしたくない、スルーしててもそれはおかしいことなんだという感覚を持っていたいという矛盾した感情を吐き出しています。

 

同時に、自分は普通の人であって、いまは芸能人というか有名になってしまったけれども、できればこっち側(ファンと一緒の側・一般人)でいたい、というかいるんです、ということも話しています。

 

一連の語りを見ていると、とても普通の女の子で、賢いバランス感覚の持ち主だと感じます。

普通の女の子です。

 

普通の女の子が、言ってみれば、突然、宝くじに当たってしまって、急にお金持ちの世界に入ってしまい、その世界のルールや感覚に違和感を覚えているような状況なのだと思います。

 

当事者にとっては、憧れていた世界でもあり、自分の価値観を見出してくれたチャンスでもあるけれど、その環境の変化は当然に戸惑わせるもので、様々な人が自分に理想を抱いている、その理想の全てにこたえきれない不安を感じているように見えます。

 

今まで、こうした当事者の語りが表に出てくるようなことが少なかったので、全く見えない部分だったのですが、価値を見出された側も様々な苦悩を抱えているのが分かります。

 

 

 

話が長くなったので、そろそろまとめます。

 

ほしもえかさんの語りはとても貴重なもので、まさに価値を見出された文化系女子の語りだと思います。

 

しかし、彼女のような「普通の女の子」がちょっと変わったオーディションによって「発掘された才能」として消費されていくことに、どこか気持ち悪さを感じてしまいます。

 

彼女自身の女優になりたいという気持ちや彼女自身が持つ魅力に非があるのではなく、その選ぶ側の視線の気持ち悪さです。

 

そして、選ばれた当事者にとって、「ありのままの自分」のままでいることが、相当に大変であるということです。

 

つまらない世界をおもしろくする「わたし」が求められている以上、選ばれた「わたし」は相手のいる世界に対し違和感や戸惑いを感じたままでいなければならないのです。相手がいるのはつまらない世界で、それに染まらない「わたし」がわたしの価値だから。

 

それでもそれが本人のやりたいことで、望んでいることであれば、何よりだと思っています。

 

 

先日の事件を受けて、地下アイドルや、モデルなどいろいろ調べていると、想像以上に「女の子」のリアルがただただ痛くて、青くて、いとおしくもあり、無茶しないでほしいなあぁと老婆心を出してしまいます。

 

 

あんまり考えがまとまっていない記事です、すみません。



追記

選ぶ側の人が面白くない汚れた視線で見てるのに、その人が選んだ特別な存在感を持つ女性はその人たちの助言のもとで働くのか。
選んだ女の子の才能を生かす能力は彼らにあるのか。
彼らができるのは、「発見」することまでで、その先の選択肢は周りから見て間違ってるようにみえても本人の意思で見つけるしかないのかもしれない。

『絵本といっしょに まっすぐ まっすぐ』 鈴木潤 著

 

 

京都にある「メリーゴーランド京都」という絵本屋さん。

古いレトロビルのなかにあるちいさな絵本屋さんですが、ギャラリーも併設していて、毎度素晴らしい展示をされていたり、素敵な面々の集まった小さな古本市を行ったりしています。

 

そして、絵本の品ぞろえが素晴らしいです。

小さな店内で、4000冊くらいしか入らない空間なのに、大きな店舗を何軒も回っても見つからなかった絵本が、「ありませんか??」と尋ねてみると、不思議とここにあったりします。

 

本当にいいと思った絵本しか揃えない、というどこか職人気質の店主さんのセレクトが素晴らしいのだと思います。

 

絵本だけでなく、大人向けの本も少ないながら置いてありますが、それもやはりここでしか買えないような珍しい本があります。

 

京都の本屋さんはけいぶんしゃ、誠光社、二月書房、ホホホ座、マルイのフタバ書店など、目利きの店主さんの多いのが特徴ですが、このメリーゴーランド京都の店主さんもまた、鋭い選書眼をもった方なのです。

 

その鈴木潤さんが日々綴っていたブログの記事や絵本にまつわることをまとめた本が出されたということで、直接京都に買いに行きました。

 

日記のように絵本を紹介していくこの本は、日常のなかに絵本のモチーフやテーマがあふれていることを実感させます。それと同時に、またこんなにたくさんの素敵な絵本があることを教えてくれます。

 

鈴木さんの日常は、よくtocotocoなどの育児雑誌にも取り上げられていますが、京都の町屋で絵本に囲まれてすくすく育っている息子さん達をうらやましく思うし、自分の娘にもそんな環境を与えてあげたいな、と思っています。

 

 

 

ちょっと遅いレポですが、去年と同じく、森、道、市場行ってきました。

 

毎年一緒に行く友達も同じ。

 

とっても規模も大きくなったのに、チケットは割安で、出店者もとても魅力的で、ロケーションも最高などんどん素晴らしいイベントになっています。(駐車場以外)

 

今回もトクマルさんやキセル、johnjohnfestivalなど、素敵なアーティストが出てて二日間とも大満足でした。(駐車場以外)

 

いっぱい素敵な写真を撮れたので、ちょっとアップしていきます。

 

砂浜のきれいな会場です。

 

メインステージあたり。朝なのでまだ空いています。

 

海!

 

箕面ビールです!(私は運転なので、飲んでません)

売ってるところもあったけど、これは大阪のスーパーで買って持ってきたやつです(安いし)。

 

おいしいソーセージでした。

 

色鮮やか~なショップ。

 

装飾もおしゃれです。

 

激混みの水曜日のカンパネラ。

 

お洒落店。

 

素敵なジョンさんです。

 

砂浜で遊べるので、子どもも飽きません。

 

 

写真多めでお送りしました。

 

 

ちなみに、駐車場ですが、1km近く離れている臨時駐車場のチケット代が入場チケットとほぼ同じ値段がします。キャンプサイト券を持ってて泊まる人なら近くの駐車場でいけますが、それ以外の人だとかなり遠くからたくさんの荷物を持っていくことになるので注意です。

 

そんな駐車場を使うのもあほらしいので、折り畳み自転車を一台車に積んで、荷物と妻と子どもだけ降ろして、遠くの無料駐車場に止めて、自転車でしゃーっと会場までいきました。

 

フェスには折り畳み自転車があると、ほんと便利です!

 

大事なことなのでもう一度。

 

駐車場対策には折り畳み自転車!!

 

リブログさせていただきます。

アイドルや女優、モデル、シンガーソングライターのとファンの話に思うこと

 

「ファンと一個人として関わらないのが大事」 刺傷事件で優月心菜さんが訴えたかったこと

 

優月心菜さんのインタビュー記事ですが、彼女の先日の一連のツイートを受けて、いろいろなメディアがインタビューをしているようです。

 

先日のシンガーソングライターの女子大生の刺傷事件で、当事者の声をとてもよく表してるツイートだと思います。

 

 

なかなか正しい意図が伝わっていない人が多くいたり、マスメディアはアーティスト(まとめてこういう表現にします)の集客方法やファンサービスのあり方の問題にしようとしているようですが、実際に多くの人は知らない世界で、私自身もうまく理解できているかわからないんですが。。

 

SNSやブログでの日常的な発信は、いまやアーティストにとってはなくてはならないものだとおもいます。

それが、不特定多数のファンに声を届ける一番手軽で効率のいいツールだからです。多くのアーティストがtwitterをする中で、個別の返信までしてる子も少なくなく、直接やりとりできる喜びはファンにとっても貴重なものだと思います。

 

いま、本当にいろんな人が発信をしています。自撮りの顔写真だったり、ちょっとした動画だったり、便利なアプリもいっぱいあって面白い画像もちょっとしたネタも簡単に発信できます。それはアイドルだったり、モデルだったり、女優だったり、シンガーソングライターだったり、ミスコン出演者だったり、いろいろだと思います。

自分をアピールして稼がなきゃいけない人たちなので、アピールするツールを使うのは当然だし、それを使って非難されることはおかしな話です。

おかしいのは、迷惑なファンのほうです。

 

でも、本来は、ファンの大半は皆いい人のはずです。

 

 

自分の経験談ですが、でんぱ組が有名になるずっと以前に、顔と名前を憶えてもらえるくらいにディアステージに入り浸っていたことがあって、メンバーがまだカウンターで仕事してたり、外で呼び込みしていたころだったからまだファンも少なくて、とてもアットホームでいろんな人がいたけれど、オタクでもふつうのサラリーマンでも学生でも、関係なく自然とみんな仲良くなれていた気がします。

 

アーティストとの距離が近いことは、危険と隣り合わせな面もあるけれど、ふつうにみんなが仲良くやりとりしている分には「本当に誰でも受け入れてくれる居心地のよさ」があるなぁ、と思っています。

 

ファンのなかには、普段人とのコミュニケーションが苦手な人もいると思います。

仕事でストレスをためているからこそ、こういう場で趣味を楽しんでいる人もいると思います。

 

そういう人たちにとっての居場所である、というのがアーティストのライブ会場の理想のひとつなんだなぁと思います。

 

 

そういう理想の場を作るのは、現場の運営の人の仕事だったりすると思いますが、アーティスト個人の対応だけでなんとかなるものでもないし、もし可能であれば、ファンのなかでお互いに声を掛け合ったり、ダメなものはダメといえる雰囲気を作って、うまく自浄作用が働いたらいいなと思うところです。

 

そこに、CDを何枚も買わせたり、握手会やチェキの撮影があったりするのは、また議論のあるところですが、それも純粋な応援の気持ちなら、アリだと個人的には思っています。「お金」

のやり取りがあることで、ある意味適度な「距離感」が保てるのだと思っています。

 

なんにしろ、アーティストのことを勘違いして独占しようとし始めたら、その人はもうファンではないわけで、紹介させていただいたツイートの通りだなぁと思います。

 

ジョン・クラッセンの絵本はどれもかわいらしいイラストとどこか不思議な、ときに毒のある内容が特徴ですが、この絵本は、一貫してかわいらしい素敵な作品になっています。

 

 

著者のジョン・クラッセン(Jon Klassen, 1981年 - )は、カナダ人イラストレーター、作家です。

 

日本語で訳された本では、長谷川義史さんの関西弁の見事な訳が特徴的な下記の2作のほか、その人気から、さまざまなイラスト絵本が訳されています。

 

・『どこいったん』長谷川義史訳、クレヨンハウス、2011年

・『ちがうねん』長谷川義史訳、クレヨンハウス、2012年

 

 

さて、「アナベルとふしぎなけいと」。

 

 

とってもかわいらしい女の子のアナベル。 

アナベルの拾った箱のなかには、色鮮やかな毛糸がありました。ふしぎな毛糸は決して絶えることなく、編み続けることのできる不思議な毛糸。 

白い雪と黒いすすでおおわれた町に、アナベルはこの毛糸で彩りを与えていきます。 

町中のみんなにセーターを編んで、それでもまだまだ毛糸はのこって、町中の景色もどんどん色鮮やかにしていきます。 

 

 

ある日、オシャレな王子がやってきて、その箱を買おうとします。 

でも、どんなにお金を積まれても、アナベルは箱を売りません。ついに王子はその箱を盗もうとしますが、王子が箱を開けると中身はからっぽ。 

 


不思議な毛糸はアナベルだけが使える特別なもので、アナベルはたとえ王子が呪いをかけてもずっと幸せでいられます。 

 


ジョンクラッセンのかわいい絵柄と、素敵な彩りに目を奪われるとても美しい絵本です。 
もちろん、子どもにとってもわかりやすいお話ですが、アナベルの毛糸が示すものはいったい何でしょう。 

 


邪心のない、町のみんなを明るくしたいという純粋で無垢な気持ち、それをアナベルはひたすら編み続けていたようにも思います。 

 


そう思うと、とても温かい気持ちになれる作品です。