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メインブログには書かないような推敲のない文章を書いています。

オリンピックを見ていて、一番悲しくて、怖くて、鬱々とした気分になった瞬間が、レスリングの吉田沙保里選手が謝ったときの言葉を聞いた時でした。

 

「自分のやっぱり気持ちが、最後は勝てるだろうと思ってたんですけど、取り返しのつかないことになってしまって…」

 

この「取り返しのつかないことになって・・・」

 

という言葉。

 

いったい、どれだけの責任を背負ってきたんだろう。

どれほどプレッシャーがのしかかっていたんだろう。

 

まったく謝ってくれなくていいし、頑張ったんだからいいじゃないか。

もっとせっかくのオリンピックを心から楽しんでほしかった。

 

勝負に貪欲だからこそ、前人未到の記録を打ち立ててきた選手。

もちろん、その貪欲さから、勝てると思ったのに負けてしまったくやしさはあると思う。

 

「取り返しのつかないこと」と言葉が出てしまうほど、皆が当たり前に4連覇を信じていたせいかもしれない。

 

以来、「取り返しのつかないこと」という言葉がずっと頭のなかで引っかかっている。

 

「取り返しのつかない」ほどのミスだったのだろうか。

取り返しのつかないと思うほど、追いつめられていたんじゃないか。

銀メダルでももちろん素晴らしく立派だけど、周りがいくら大丈夫、といっても本人の思いが大きければ大きいほど、失敗は本人にとってとても大きなミスとして残る。

 

たいていのことは、失敗してもなんとかなる。

死ななければ大丈夫。

犯罪を犯したわけでもない。

 

そう思っていても、思いの強さはかえって、ミスを「取り返しのつかない」ものにしてしまう。

 

本当は、取り返しのつかないことなんてない。

そう、言い聞かせないと、こちらも鬱鬱とした気分に飲み込まれそうだった。

 

自分のミスが頭をよぎる。

どれも、いっぱい怒られたけど、いまこうして生きてる。元気だ。

 

だから、きっと大丈夫なはず。

 

 

 

 

上杉隆という人は好きではないけれど、この記事には同意します。

 

なぜ日本人選手は銀メダルで謝罪するのか? 悪しき習慣を上杉隆氏が斬る

 

芸能ニュースのホットな話題ですが、海老蔵のブログすごいな・・・。

twitter並みの更新頻度!!

 

少し見習おうと思いました。

 

そして、辛い病気、重い病気、それがしばらくずっと続く状態で、日常生活にも大きく影響を与えるようななかで、決意を新たにして自分のことをまた伝えていく、ということはとても素敵なことだと思います。

 

がんや白血病、またはうつ病やそのほかの闘病生活の長く続くような病気については、多くの人がその日々の感情の揺れ動き、あるいはささいなことや日常の細かな変化、またはその病状を日記に綴っています。

 

それは、単純に病気やその病状の変化のことを周りの人に伝えたい、という思いからくるものでもあり、またその時々の自分のことを記録しておきたい、残しておきたいという思いもあるのだと思います。

 

特に、他人がその人のブログについて邪推するつもりもないし、そんなことはするべきではないですが、穏やかな生活を送っていただけることを願って応援したいなぁと思いました。

 

 

 

9月ですね。

 


モザイクタイルミュージアムに行ってきました。

http://www.mosaictile-museum.jp/

 

不思議な形をした美術館です。

 

展示スペースでは、まず最上階に続く階段を上ると。

 

真っ白なタイルに囲まれた開放的な空間が広がっています。

 

各地の使われなくなった銭湯などから回収したモザイクタイルのアートが展示されていたり。

 

昔、各家庭で使われていた流し台が飾られていたり。

 

端っこに見えるのは、昔のかまどです。

お城の絵もとてもきれいです。

 

 

座って休憩できるスペースもあります。

 

一つ一つ、形の違うタイルで作られたオブジェ。

色とりどりのタイルが光に照らされてとてもきれいです。

 

こちらはタイルの詰め放題、紙コップ一杯で、500円。

ものすごくお得。しかもかわいいタイルです。

 

新しくできた美術館ですが、とてもいい感じに作られていました。

タイル、いいなぁと思える展示です。水回りのワンポイントに取り入れたくなります。

 

昔一般的だったのに、今使われなくなったのは、やっぱり手入れが大変だったり重かったり、施工が大変だったり、古臭く感じられたり、といろいろな要因があったのだと思いますが、いまこうして見ると、かえって新鮮でかわいいものになります。

 

こうしたものが、また新しい感覚で見直されていくのは、純粋にいいなぁと思います。

古いものをただ讃えるわけではないですが、こうしたタイルた摺ガラス、モザイクガラスといった古い建具や建材に使われていたものは、今や別の価値を持って新しく取り入れられているように思います。

アンティークとは違って、今風の「かわいい」感じになっているのがまたいいなぁと思っています。

こういう感覚は大事に持っておきたいと思います。

 

 

 

Kindle Unlimitedという月額980円で特定の本が読み放題、という面白いサービスが始まりました。


全く期待していなかったのですが、予想外にラインナップが良いので、いま体調が悪くひきこもっていることも加わり、ひたすら恩恵に預かっています。

サービス的には、全ての本が読めるわけではなく、あくまで出版社が線引きした一部の本のみ。漫画であれば最新刊ではなく1~3巻まで、とか、最新の文芸本は無い、とか。 そして、読み放題で一度にダウンロードできるのは10冊まで。 ほとんど、図書館に近いサービスです。ただし貸出し期限は有りません。

でも、自分の手元にちいさな図書館があると思うと少しワクワクします。

さて、いくつか、オススメ本を紹介します。

マンガ編

 

 

 

ニンフニンフ
0円
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神の子供神の子供
0円
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サブカル系が多いです。

 

ビジネス・実用系

 

 

 

 

 

 

『ミクロ経済学の力』だけでも十分価値はあります!

雑誌系

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1,512円
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雑誌もかなり充実していて、退屈しません!

 

という感じで、非常に面白いです。。

 

しばらくは飽きないと思いますが、いつまで続くのかな、と不安に思いながら利用してみます。

ここにきてかなり苛立つような自民党のアンケートサイトを見てしまったので。


教育がご専門のおおたとしまささんのブログをリブログさせて頂きます。

 

まず、自民党のアンケートサイトですが、公開後数回の文言修正がなされ、現在も公開されたままになっております。

 

学校教育における政治的中立性についての実態調査

 

党文部科学部会では学校教育における政治的中立性の徹底的な確保等を求める提言を取りまとめ、不偏不党の教育を求めているところですが、教育現場の中には「教育の政治的中立はありえない」と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。
学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがあり、高校等で行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行うことで、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出されることをわが党は危惧しております。

そこで、この度、学校教育における政治的中立性についての実態調査を実施することといたしました。皆さまのご協力をお願いいたします。

 

実態調査といいつつ、詳細な個人情報を書かせつつ、以下、政治的中立を逸脱するような不適切な事例を具体的(いつ、どこで、だれが、何を、どのように)に記入してください。というフリー記入欄が設けられ、偏向教育の密告サイトとしての体をなしています。

 

個人的には、まさにこのサイトこそ政治的中立性を逸脱する不適切な事例であり、具体的に「現在ネット上で自民党という特定政党が実態調査として中立を盾にした密告制度を整えており、教員の発言を委縮させ生徒の多角的な視点を養う機会を失わせている。」ものだと思います。

 

仮にこのサイトが、でたらめな投稿ばかりで、まともに機能しないとしても、ダミーの監視カメラが防犯に役立つように、人の行動を制限し、自粛させるのに十分な効果をもたらします。

 

自民党関係者は調査をやめるつもりはない、と述べているという報道もありますが、参院選で2/3議席を確保できるから、もう好き放題にさせてもらう、という勝利宣言でしょうか。

 

テレビの報道でも、明らかに政権批判が減ったことからもわかるように、マスメディアに対し、同様に中立を呼び掛けたところ、効果テキメンに自粛してくれたので、同等の効果が期待できるでしょう、といった思惑があるのかもしれません。

 

 

実際に、政治的に中立、とはなんでしょうか。

 

次のなかで政治的に中立な意見はどれでしょうか。

「アベノミクスは失敗した」「原発再稼働は必要だ」「母性のある女性が赤ちゃんの面倒をみるのは当然だ」「子どもの素行が悪いのは親のせいだ」「安保法制は必要だ」「日本の法人税は高すぎる」

 

どのような立場の人が、どのような場で話すかによっても中立であるかどうかの判断が変わってしまいそうな内容のものもありますし、そもそも中立であるという判断は誰が行うのか、一つの意見が本当に中立であるということはあり得るのか、等さまざまな疑問が浮かびます。

 

そして、自分の意見は中立だから、堂々と話すことができる、という人もおそらくいないのではないでしょうか。

 

「中立なんか、ないよ」と話すのは、田原総一朗さんです。

 

意見が偏っているからこそ、多角的な視点を持つべきであって。朝礼のたびに国旗を掲揚し、君が代を歌っていることに対して、生徒が疑問を持ったとしたら、「中立でない意見を教員の誰かが吹聴した」とでも言うんでしょうか。

学生もまた、未熟ではあっても考えることはできるはずです。先生の一方的な意見が仮にあったとして、そこに疑問を挟むことは当然可能です。

おおたとしまささんの記事にもあるように、もちろんある程度常識でわかる範囲での中立性は教員は保つべきですが、教職課程で日本国憲法を学び、教育者としての訓練を受けている以上、大半の教員に備わっている範囲のものでしょう。

 

それ以上の中立性についてはやはり限界があり、政治的中立性を保つことは不可能なように思います。

中立性よりも多様性を、というご意見に同意します。

 

あえて、中立性を教えるとは何かと言われれば、「政治的な多様性を教えること」なのかなと思います。

 

いろんな考えの人がいて、いろんな立場の人がいる。だから、みんなの代表を選んで少数精鋭の人たちで喧々諤々の議論をしてもらう。その代表者は、みんなの意見を掬い取る義務があり、できる限りいろんな人に配慮した形で、決着をつけてもらう。

 

民主主義的な政治は、本来このようなものだと思います。なんか、国民投票だの直接的な多数決が一番民主主義的だ、みたいな意見が最近多く見受けられますが、本質はそうじゃないと思います。

 

参院選前投票日前に、こうした問題が露呈して、まだ救いがあったのかなと思います。

 

とりあえず、私は自民党には入れません。