ここで、書いたかどうかもう覚えていないけれど、改めて考えをまとめるために書きます。

「ひとり出版社」として夏葉社を立ち上げ、本好きの書店員や本屋から親しまれる本を次々と出版されている島田さん。
その島田さんが仲間たちと、町の本有亜さんについて、一年間考えた、その本です。
帯には、こう書かれています。
「わたしたちの町には本屋さんが必要です。生活のすぐそばにある本屋さんの、これまでと、これからと、いま。みんなで考えた、あたらしい「町の本屋」論。」町の本屋さんとは?
ここでいう、町の本屋とは、おしゃれなセレクトショップ型の本屋でもなく、大型の書店でもなく(それが一般的にはなってきているが)、だれでも気軽に立ち寄れるすぐそばにある町のなかの本屋さんのことだ。
その町に暮らす生活者のための本屋さん。ふだんから本と触れ合える、そして本をじぶんだけのものにできる場所。
私の本の思い出自分のはじめての本との出会いは、やっぱり家族や親からの影響が強くあった。小学校高学年~中学生の頃。単純に家にあった本を読む、その多くは赤川次郎だったり宗田理といったミステリー小説や娯楽小説が中心だった。村上春樹を背伸びして読んだり。
高校くらいから、川上弘美が好きになり、徹底して読み漁った。川上弘美のおすすめする本も読むようになり、そこでひとつ自分の読書の方向性が定まっていった気がする。
種村季弘、稲垣足穂、といった幻想小説にいったり。
本屋さんはまちに一つ。小学校前にあって、学校帰りに通うことが多かった。
マンガ・小説も買っていたが、店のおじさん(友達のお父さんだった)に読んでる本を知られるのも気恥ずかしくて、そのうち足が遠のいていった。
ブックオフができてから、その影響は本当に大きかった。
中高生が気軽に入れて、たくさん本があってCDの掘り出しものを探したり、とにかく時間をつぶした大好きな場所だった。
ブックオフが既存の本屋や古本屋にとって脅威であり、そのおかげでつぶれた本屋もいっぱいあっただろうけど、ブックオフに育てられた読者がいるのもまた事実で、安易にブックオフの存在は否定したくないと今も思っている。
大学は京都だったため、古本屋をめぐるのが楽しかった。そのころ、地元では町の本屋さんがコンビニに代わり、ドラッグストアに代わっていった時期だった。
徐々にアマゾンが力を見せ始め、書店の衰退が叫ばれるようになった。
京都の丸善がつぶれて、カラオケ店に代わったとき、ちょうど就職活動をしている時で、この業界の厳しさを目の当たりにして、本は趣味、好きなことは仕事にしない、と決めた。
いま、リトルプレスや夏葉社さんのような、ニッチな市場が広がってきて、本の世界もまだまだ面白いと思っている。ブックフェスタ的なイベントも増えていると思う。新しいスタイルの本屋さんも大好きで足しげく通っている。そうしたものに参加しながら、自分も本屋さんのことについて考えてみたくなった、
本書を読んで本書を読んで、それでも本屋さんの衰退は止まらない、と思っている。
本屋さんが町には必要です、と呼びかけて集まる人も多く、実際危機意識を抱いている一般の人も多いと思う。
一方で、大きな流れ、電子書籍・送料無料で翌日には届く大型ネットショップ、大量の在庫を抱えるブックオフなどの大型古書店、そういった流れに逆らいながら、従来どおりの町の本屋さんのままで維持をしていくことすら難しい状況が続いている。
ただただ右肩下がりに衰退していくなか、取次・雑誌や学参中心の売上だけでやっていくのは難しいと多くの書店は気づいている。
最近、新しい本屋はどこも文脈棚やセレクトショップ、雑貨店を意識したつくりをしているところが多い。
生き残りを考えたなかでの生存戦略の一つだ。
そうした傾向も面白い、と思う一方で、それだけではすでに物足りなくなっていると感じることも多い。
なぜ本屋は必要なのか
本書でも多くの人がその必要性を語っている。
以下は、個人的な思い。
本屋さんでの「偶然性による出会い」は、読書体験のなかでもっとも重要だと感じるからだ。
アマゾンやヨドバシでも買うことはできる、それはしかし自分で検索して目的のものがあらかじめ定まっているときだけである。
目的のものを目的どおりに買う、にはネット書店が圧倒的に便利だ。
足を運ばなくても、キーワードを打ち込んで、ボタンを押せば、家に届けてくれる。
電子書籍で読めるのものなら、すぐにダウンロードして読むことができる。
その便利さは、享受すべきものだと思う。
一方、ただなんとなく本屋さんによってみて、面白そうな本が置いてあるのをみて楽しむ、偶然手に取った本、装丁や実際の手触り、質感、そして読者なりの嗅覚を働かせて購入する、という本屋の体験は、読者にとってかけがえのない一冊との出会いにもつながるし、より本を好きになるきっかけにもなると思っている。
そうした体験が身近な場所でできなくなる、ということは多くの読者となるべき人にとって、重大な損失だと思っている。
本屋は開かれている場所であり、気軽に立ち寄ることができる場所であることで、読者を育てることができる。
本屋が失われることは、最終的には文化の喪失につながる、と思っている。
本が売れない、ということは作家の収入が減る、本に携わる全ての人の収入が減るということであり、読む側だけでなく、書く側の質の低下を招くことになる、
町に本屋がないことで、本に親しむことができず、読み手にも書き手にもならない人ばかりになってしまったら。
本はただ、知識や情報を得るだけのものではない。
知識や情報はいつも新しいものを教えてくれるが、そうした実用書とは別に、小説や古典は、ずっと変わらない人間の心理や感情を教えてくれる。
情報は絶えず変わる続けるが、人の感情は変わらない。
そうしたものを伝えていくためには、ただ実用性や利便性だけを求めた書店のあり方でいいのだろうか。
これからの本屋にできること
答えを出すことは本当に難しい。町の本屋さんがただあるだけでいい、という単純な願いを支えていくだけのことがいまの地方はもちろん、大都市ですら難しくなっている。
ただ「本屋会議」の最後に、希望となるような言葉が書かれている。
「町には本屋さんが必要です会議」の取材のなかで出会った広島の中学生の女の子の思いをつづった15枚の原稿用紙の文章。
それは、「私は、本が大好きです。」で始まり、
「本が好き」っていうだけで、世界が広がることもあるんだ。という一文が最終段落に締めくくられている。
この彼女の文章は、本を読むことに情熱を注いでくれる子どもたちが、まだたくさんいることを教えてくれている。
こうした
「未来の読者を育てる」ことが今の本屋さんにできることではないだろうか。
小さい時から絵本を読ませる、ということでもいい。
何を読ませればいいかわからない育児世代もいっぱいいるだろう。
推薦図書はなんだかつまんないけど、もっと面白い本はない?と思う小中学生もいるんじゃないだろうか。
私なりに考えた一つの答えは、そうした子どもたちが将来、本を好きになってもらえて本のあり方について、またいろいろ考えてくれる。
そうした議論形成ができる土壌を作り上げていく地道な作業が必要だ、ということである。
そうした世代に働きかけること、とにかく本を好きになってもらうこと、そのための本屋さんの仕事を今後改めて、考えていきたい。
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