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メインブログには書かないような推敲のない文章を書いています。


思いっきり直球の本ですが、「主夫になろうよ!」佐川光晴さんの本を読みました。

主夫になろうよ!

小説家でもあり、主夫でもある、兼業主夫を営む著者。

ここ最近、女性の活躍に関する話題や育児世代を対象としたキュレーションサイトの増加から、「主夫」に関する記事や記述も多くみられるようになり、「主夫」本も多く発行されるようになっています。

この著者もずいぶん前から「主夫」だったと思うのですが、たぶん、以前から主夫という存在もまた社会のマイノリティとして影を潜めていて、ようやく少しずつ表舞台に出られるようになってきた(需要が高まってきた)ということなのかもしれません。


長年、主夫を営んでいるだけあって、佐川さんの言葉はどれも説得力のあるものになっています。
主夫のお悩み相談室と題した最初のQ&A集は、これから主夫になる人、なりたての人にとって、とても心強いものになります。

また、主夫コラムとして連載されていた「主夫のつぶやき」もまた、謙虚な語り口ながら、家庭のことをとても大切に思う気持ちが込められ、主夫としての「仕事」の面白さ・大切さを伝えています。

日本のフェミニズムの大家、上野千鶴子氏は女性の家事労働の社会的評価の低さに対し、「人を生み、育て、そして老いたときに看取る」という最も尊ぶべき行為がなぜ、社会の最下層のものとして置かれなければならないのか、と問題提起をしています。

「主夫」である自分を、周りの人や社会がどう評価するかは分かりません。
でも、それはとても尊い仕事であり、自信をもって行ってよいものだと思います。

それは、主夫であっても主婦であっても関係ないですね。

家事や育児をこなし、日々の生活を営んでいるすべての人にお勧めしたい一冊です。

JILPT、「情報通信機器を利用した多様な働き方の実態に関する調査」 ~テレワークは、生産性の向上、家庭生活と仕事の両立等に効果をもたらす~

もっと、テレワークみたいな働き方が広まってほしい!
日頃、そう思っているので、それを後押しするような記事はありがたいです。

最近になって「シェア」や「分散」「個人」といったキーワードでの新しい企業のあり方が見直されつつあるように思います。

「クラウド」サービスの発達のおかげで、これまで会社というひとつの場所に集まってしなければならなかった仕事はほとんどなくなっています。

勤怠管理・グループウェア・スケジュール共有・経費精算・ワークフロー(各種申請)・請求書発行・会計管理・給与計算・データ共有・テレビ会議・チャット・・・

さまざまなサービスが、どこでも働ける働き方を可能にしています。
一番のメリットは、個人が自由に使える時間が長くなる、というところだと思います。

記事中の調査では、テレワークの導入によって生産性は高まるとしています。

たとえば、通勤する必要がなくなるので、仮に往復1時間かけて会社に行っていたとしたら、月に約20時間の余裕が生まれます。

また、細切れの時間を有効に活用することができます。
育児や家事を行う中で、30分だけ時間を取ることができた、この2時間なら夫(あるいは妻)に任せられる、といった時間をみつけることができれば、そうした時間を仕事に充てることも可能です。

課題は、労働時間の管理・進捗管理・セキュリティ・コミュニケーションと記事中にはあります。

日常的に電話やテレビ会議等でやりとりしていても、どうしても直接会って取り組んだほうが早い仕事もなかにはあります。
また、直接会うことで生まれるコミュニケーションの影響力も大きいのも事実です。
最低でも月に2~3回は、そうした機会を設けることは必要になりそうです。
そのなかで、十分なコミュニケーションを図り、必要なことだけを集中して行うことで、テレワークのデメリットは幾分か軽減されるのではないかと思います。

個人的には、「会社」は目に見える形で一つの場所に集まるような「オフィス」を持たなくても成り立つのではないか、と思っています。
現に、NPO法人greenz.jpでは、そのようなことを実践しつつあるようです。

そうすると、「労働時間」というのも非常にあいまいなものになってきます。
自分の時間のなかで、「労働」にどれだけの時間を割いているのか。

これまではある意味で単純でした。オフィスにいて仕事をしている時間、つまり「空間」=「時間」として労働が成り立っていたからです。

ある程度、人月の計算可能なプロジェクトであれば、このタスクには何時間かかる、と可視化できるため、そのタスク自体に単価をつけることは可能かもしれません。
一方で、間接部門の仕事や、営業・オペレーターなどの仕事は、そうした可視化は難しくなります。
単純に成果給だけでこれを考えてしまうと、労働者側の負担が重く、低賃金での長時間労働を招く可能性があります。

「時間」と「成果」は単純に結びつくものではなく、個々人の能力によってのみ成果が発生するものでもありません。
会社全体としての商品の魅力やブランド力・チームとしての生産性、上司のマネジメント能力、さまざまな作用のなかで成果が発生します。

会社として得られた全体の利益を、どのように従業員に配分すればよいのか、それは単純に時間×基本給としての計算でよいのか、あるいはタスクの難易度×単価×成果とするのか。

会社としての既存の固定的な概念を壊していくと、従業員・労働者の「報酬」のあり方も大きく変化します。

国会で様々な物議を醸し出した「残業代0法案」は、上記のような議論をすっ飛ばして、2歩、3歩進んで、成立させてしまったようにも思います。

制度があってはじめて、社会が追い付く、という考え方もあるかもしれませんが、まだまだ議論の余地があるなか、成功事例の共有をもっとしていかなければならない、と感じます。


昨日、大阪のハローライフさんで開催されたイベント、パパとホイクシノセナカというイベントに参加してきました。

普段、FQジャパンというパパ向け雑誌をつかって、パパ同士が何かのテーマに沿って対話をする、というお話会の保育士さんとパパバージョン。

普段、保育園に娘を通わせていても、保育士さんと話すことは、園での様子を話したり、夏祭りやバザーの話をしたり、という程度で、なかなか飲みながら深い部分まで話すとか、そういう機会はめったにありません。

貴重な機会を見つけたと思い、喜んで参加してきました。

テーマは非常に面白いものでした。

「しつけ」は必要か?

そもそも、「しつけ」ってなんだろう?
自分がされて嫌だったこと、あるいは電車や町中でみかけた嫌な場面について、話をしました。

そして、「しつけ」は必要か?ということについての対話。
4人グループで、「対話」(人のことを否定しない、きちんと聞く、沈黙OK、脱線OKなど)をこころがけながら、話し合います。途中、メンバー交代もあり、多様な意見や考え方を聞くことができました。


「しつけ」という言葉には、最近ネガティブなイメージが付きまといます。

昔は当たり前のように親や先生が叩いたり怒鳴ったりということをしていましたが、いまやそれは虐待の温床ともいわれるし、「叩く」以外の方法(タイマー作戦など)もいろいろ提唱されています。

でも、改めて、「しつけ」っていうことについて考えてみる。

非常に面白いテーマで、その人の生きてきたこれまでの価値観や、育児観、そして子供にいたする愛情等様々なものが意見の中に現れてきます。

ネガティブなイメージがあるしつけとは、「自分のいう通りにさせる」ようなしつけである、という意見がありました。
「犬のしつけ」と「子どものしつけ」は違う。
自分のいうとおりにさせるようなしつけは犬のしつけに近いけど、子どものしつけはそうであってはならない。

子どもが、「社会」というさまざまなルールやきまりがある世界で生きていくうえで、必要になるもの、それらを伝えていく、ことがしつけなんじゃないか、という議論が進みました。

また、本当に危険なこと、命にい関わるようなことは強く言わなければならない、そういうとき自然と子どもに対して「助けなきゃ」という気持ちでダメと強くいえるときがある、という保育士さんもいました。

一方で、子どもはそれをどう受け止めるか。

小さいころにうるさく言われていて、すごく嫌に思っていても、成長し自分も社会の中で仕事をしたり、多くの人と関わったり、また親になったりしたときに、ふと振り返ってみると、当時嫌だったことが実はとてもいまのじぶんにとって必要なものだった、と気づくこともある。
逆になにも言われずに育って、社会に出てみたら、みんな厳しくて、集団のなかでの生活が難しい、というケースもあるかもしれない。

その加減やどんなしつけをどのようにするか、という部分は、とても難しく、もちろん「しつけ」をするのは親だけではなく、地域の大人、保育士・教師・学校や会社の先輩ということもあると思います。
そのため、自分だけの価値観を押し付けることはほぼ不可能だし、そういうしつけは必ずしもいい結果をもたらすものでもない。

子ども自身に考えさせる。またどのような生き方をするかを選択させる、そうした幅を持たせることも大事なんじゃないか、と思います。

日本では、とくに「集団に合わせる」といったことが求められてしまう社会でもあり、「しつけ」もそうした社会に適合するようにせざるをえないところもあり、どうしても窮屈なイメージがあります。

ただ、そうした窮屈さは、遅かれ早かれ子ども自身が自分で経験することになると思います。

そのときに、そうした窮屈さに対し、どう対処するか。

そこで、自分で考えて、自分なりのやり方でうまく生きていくようにできれば、ちゃんと子どもをしつけられたのかなぁ、と思います。


難しいテーマで正解はないものだとは思いますが、こうしたことを大人になって、大人同士で語る機会は、なかなか作ることができず、貴重な時間でした。

主催者の皆様、ありがとうございました。

たまたま、メルマガで、「かよちゃんを救う会」というサイトでの募金のお願いが回ってきたので、そのサイトを閲覧するとともに、移植手術に関する事情などを調べてみた。

ちなみに、かよちゃんは、拘束型心筋症(リンクは難病情報センター)という病気を患っている。

サイトの趣意を下記に引用する。


2015年1月。まだ1歳のかよちゃんに病気がみつかりました。 心臓の筋肉がどんどん硬くなる「拘束型心筋症」という難病です。治療法はみつかっていません。残された時間が少ないことから「心臓移植」が唯一残された生きるための道です。 日本国内での移植の可能性はほとんどなく、かよちゃんに残された時間はあとわずかです。そのため「海外での移植手術」が望まれています。 しかし、それには莫大な額の費用が必要になります。とても一般家庭に支払える額ではありません。
という。

そして、びっくりするのがその費用。
海外で心臓移植手術を受けるために必要な費用は2億4500万円!

それは、一般家庭にも裕福な家庭にも無理です。

それでも心臓移植などを行うには、海外に渡航するしかない、という。

海外でも臓器の提供を待っている待機患者は多数いる。
そのなかで、優先的に治療をしてもらうには、「デポジット」(保証金)を払う必要がある。

臓器移植自体が、高額な治療費のかかる医療である以上、病院側に前払いをする保証金がどうしても必要になる。病院も経営を成り立たせるために、確実な支払い能力を患者に求めるためである。
一方で、そのデポジットがあまりに高騰しているために、それは病院側が本当に適正な価格を提示しているのか、またデポジットが実質的な順番待ちの「割り込み代」になっていないか、等といった疑念が持たれてしまう。

もともと、海外渡航での治療は健康保険の適用外のうえに、心臓手術という高度な手術、加えてデポジット費用。
それら全てが、移植手術による治療費を法外な金額にしている。

こうした多額の金額が治療にかかることは、結局のところお金を用意したものが優先されるのか、といった経済格差の問題に突き当たる。


特定非営利法人日本移植支援協会のページでは、「救う会」の一覧が確認できる。

見てもらえれば、分かるが、じつに数が多い…!!
これ、実際には募集が終了しているものがほとんどで、記事執筆時点で募金をつのっているのは2件のみ。
(ただ、このNPOが後援するもの以外も多数あるものと思われる。その場合、詐欺サイトなのかどうかの真偽は非常に分かりにくい)

これまでに、これだけ多くの患者のための「救う会」「守る会」が作られ、それによって助けられたり、あるいは間に合わなかった命がある。

万一、募金途中で病状の悪化等で募集を終了した場合には、ほかの守る会への募金に充当するなどが、過去行われている。

日本でも、法律上15歳以下の子どもの臓器移植が認められるようになったものの、その実例は非常に少ない。

国内での移植手術は、実際に意思表示を行っているドナーの少なさ(特に子ども)や、実際にドナーが見つかったとしても、その後の適合プロセスの厳しい審査過程によって、そのハードルは高い。
実績の少なさからも移植手術自体が、とても特殊なものとしてとらえられてしまっている。


そのため、日本では待機者の平均待機日数が非常に長く、そのことも優先度が高くなる理由の一つでもある、という。(※コメント欄にて指摘を頂きました)

また、東南アジアに目を向けると、人身売買などのブローカーの存在なども散見される。フィリピン等では臓器移植の外国人割合を10%以下と規制しているという。

それにしても、高額な費用を集める大変さ、またその費用が実際にどのように使われているかが不透明な点を考えると、もっと海外での移植手術に関する透明性は高まるべきではないかと思われる。


一方で、iPS細胞をはじめとする、再生医療技術の進歩にも期待したい。

日本でも多額の研究費を投じているものの、現状は、まだ角膜などの一部の被膜やシート状のものしか培養することができない。手術の実例もほとんどない。
より3次元の器官形成に向けて、様々な研究が行われている。まだ基礎研究をはじめ、臨床に至るまではかなりの時間を要する。
まして、心臓のような複雑な器官を体内環境で再生するには、ずっと先のことになるだろう。

また、適切なケアで、難病患者の余命を伸ばすこともある程度は可能になると思う。

一人の命を救うために、多くの人が金銭的な支援をする、というのはもちろん素晴らしいことで、そうした事例を積み上げていくこともまた医療の発展にもつながることだと思う。

しかし、それ自体が安易に美談として語られてしまい、海外移植の倫理的な側面や透明性といった問題が見過ごされてしまってはいけないのではないか。


個人的には、ぜひ応援したいので、下記画像も添付します。



※ご指摘を受けて、いくつか内容を修正いたしました。特に、デポジットが「割り込み費用」であるという私自身の認識の誤りにより誤解を招いてしまったこと、お詫びいたします。


外国人に家事を任せれば、働く女性が増える?!

以前、ブログでも取り上げた、家事代行サービスの話。

「女性の活躍推進」を掲げ、政府では、国家戦略特区での「外国人家事支援人材」の導入を決定している。

以前紹介したタスカジも、その流れから始まったものだと思う。

家事代行サービスの難しさ。家事労働の価値を考える

冒頭の記事では、香港の事例を3回にわたって、紹介しているので、「日本より進んでいる例」として非常に参考になる。

香港では、ヘルパーは「住み込み」が前提となっている。

都心の高い家賃、マンションの不足から、ヘルパーの住居の確保が困難、という香港特有の事情からである。

その分も含めても、ヘルパーの賃金体系はかなり低価格だ。

それでも、グローバル市場での経済格差によって、自国で働くよりも他国のヘルパーのほうが稼ぎがいい、という。

適正なマッチングが行われ、ヘルパーの人権・労働衛生がしっかりと守られているのであれば、またヘルパーとの信頼関係がきちんと築け、トラブル回避が可能であれば、特に問題なく、日常のゴミ出しから、洗濯・炊事・掃除・子どもの送り迎えといったほとんどの家事をアウトソーシングできるだろう。

もちろん、そんなに上手いこといかない事情が、記事では描かれる。

日本での特区導入にあたっても、下記の記事をはじめ、多くの団体や著名人の危惧もある。

外国人家事支援人材制度を人身取引の温床にするな

実際に、日本での導入にあたっては、「日本人と同等の賃金で」という条件が求められている。
それが、タスカジで見られるような料金体系(1,200円~2,000円)に表れている。

実際に、この条件で一日12時間の拘束時間(実労働時間ではなく)、週5日月20日、時給1200円で計算したとして、28万8000円、交通費も支払うとしたら、約30万円になるだろうか。


そうすると、やはり一般家庭には到底無理、という料金体系になる。
しかし、人ひとりを住み込みで雇ってほぼ丸一日ずっと、雇用主のもとで従事する、という感覚からすれば、やはりその金額が適正ではないか、と思えてくる。自分が実際にやってみたいか、と考えたら大体その金額ならいいか、と納得できる。

現実的でない料金体系と、実際の家事労働の負担減というニーズをどのように近づけるか。

タスカジは、個人間のやりとり(CtoC)にすることで、管理コストを極力下げ、ニーズに近づけている。

より細かくメニュー設定をして、依頼したいこと・自分ですることの区分を明確化する、というのも賃金を維持しつつ、コストを下げることにつながる。

家事アウトソースの成功には、下記3つの問題の解決が必要になると思う。

・他人を家に招き入れることへの抵抗感
・家事運用の俗人化
・費用対効果の見えにくさ


それぞれ、

・契約・補償等の取決め・私的空間の確保、信頼の構築
・家事のリスト化・標準化・担当決め
・家計全体の最適化・仕事と家事のバランス最適化による可処分所得の最大化


といった形での解決が考えられるが、それらすべてを為したうえで、ヘルパーの人権も確保しながら、どれだけの家庭が家事からの解放ができるだろうか。

結局のところ、家事代行を利用するには、かなり高度なマネジメントが求められ、それは自分自身に家事スキルや管理能力があって初めて成り立つものになる。

まだまだ、難しい問題で、いろいろ考えなければいけない分野だと実感しています。
家事という閉鎖的でなかなか見えてこない分野の労働なだけに、「ブラック」化しやすい労働の一つです。

行政で支援が受けられる部分は、最大限活用しつつ、民間でできることは何か、などまだまだ開拓できる部分を考えてみたいところです。