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メインブログには書かないような推敲のない文章を書いています。

タイトルどおり。

赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。

少し前に、話題になった記事が本になっていました。

赤ちゃんに優しい国で、みんなが笑顔になったらもっと赤ちゃんは増える。

”飛行機の中で赤ちゃんが泣きやまない。じゃあみんなであやしてあげよう。
子育ての先輩たちは、うちのはこうして泣きやんだことがある、と知恵を出してあげてもいい。
満員電車にベビーカーを押して母親が乗ってきた。じゃあその周りの5人くらいは電車を降りて、みんなで空間を作ってあげればいい。
遅刻したら堂々と「ベビーカーに譲ったので」と報告して、上司は「それはよいことをしたね」と褒めればいい。”


赤ちゃんをあやしていて、遅刻しました。 そんなことを笑って許せたらいいな、と本当に思います。

同じ著者は、その一年後、再びこんな記事を書いています。


赤ちゃんにきびしい国は、赤ちゃんにやさしい国に近づいている。

本書の中には、この記事で紹介されている団体の取材なども掲載されています。

多くの人が、「声に出して言う」ことが大事だと著者は言っています。
その通りだと思います。

気づいて、行動に出ている人がまだ小規模ながらも実践していることにとても勇気づけられます。

少しずつ変えていけるのであれば、どんどん変えていきたい。
そして、それが大きな流れになって、赤ちゃんにやさしい国になればいいな、と思う。


赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。/三輪舎
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父親の子育て意欲は 9 年間、増加の一途 日常の子育て行動は父親の職場環境が大きく影響 ~第 3 回 乳幼児の父親についての調査~


父親の育児参加の意識は高まっているものの、実際にはほとんど増えていない。

”●関わっている家事・育児では、家事(ごみを出す、食事の後片付け)が若干増加した。しかし、その他の家事・育児で はほとんど増加はみられない。

●「子どもとの接し方に自信がもてない」比率が増加している。”


という。

理由は明らかだ。

”その背景として、仕事からの帰宅時間が 21 時台以降と回答する父親の割合が、依然約4割を占める。”

”帰宅時間が早い父親(20 時台までの帰宅)は、家事・育児を多く行い、生活の満足度も高い。
 一方、帰宅時間が遅い父親は、父親の子育てに対する職場の理解がないと回答する傾向がみられる。”


上記、今回の研究で明らかになった2014年の父親の実態である。

こうしたデータが明らかになっているにも関わらず、男性中心の長時間労働による父親の家庭不在は、依然解決されていない。

父親のロールモデルは何か、ということを改めて考えてみたい。

ファザーリングジャパン関西は「笑ろうてるパパがいいやん!」と、パパが家庭で笑っていることが大事だと謳っている。

遅くまで仕事をしているパパは家では笑っているだろうか?

そんなパパを妻や子供はどのように見ているんだろうか。


「イクメン」という言葉は、男性の意欲だけを高めるものにしかならず、周りの期待とは裏腹に「いくじ(育児)なし」な男性の実態は変わらなかった。

言葉よりも実践を今後促したほうがいいのかもしれない。

たとえば、パパ向けの育児書は、ママのそれに比べてずっと少ない。
育児雑誌のほとんどはママ向けに作られている。
FQジャパンが唯一パパ向けの雑誌になっているが、正直ちょっと僕には合わなかったりする。

もっと、男性の育児や家事について、語られるべきだと思う。
多くの場で語り、つながりを増やし、実践する人を増やす。
少しずつ、そういうことをしていきたい。

「居場所」のない男、「時間」のない女。

この国には、巨大な時空間の歪みが存在している。 それは、サラリーマンと妻のあいだに横たわる、暗くて深い「時空の溝」に由来する。 この国で、多くの夫と妻はたとえ「生涯」を共にしても、「生活」を共にしてはいないのである。

時空が歪んでいる、というSFのような書き出しからはじまる、本書は現代に生きる男女の生きづらさを具体的なデータに照らし合わせながら、物語っている。

なぜ、こうした歪みは起きてしまったのか。

今から約半世紀前、1950年代には、産業別就業者構成割合を見ると農林漁業に就業する割合は約半数となっている。
その後、工業化、サービス産業化と、大きく産業構造は変化していく。
今では、約8割がサービス産業となっている。

そのなかで、「働き方」も「家庭のあり方」も変容していった経緯がある。

通勤によるオフィスワークは、職住分離をすすめ、多くの労働者は、地域を離れて働くことが一般的となった。

男性の長時間労働は、以前はその弊害としての過労死や自殺などが多く取り沙汰され若干の規制はされたが、それらと同時に地域や家庭における「男性の不在」という弊害ももたらした。

そして、今になって引退して地域や家庭に戻った男性には、なんの縁もつながりもない孤独が訪れ、「居場所」を失っている。

自治会が存在する地域は、かろうじてそうした危機は免れている。
一方で、そうした自治会を支えているのは、引退した高齢者と主婦層である。
働き盛りの男性や独身者は、その姿をそこに見せることはない。
そうした人がのちに直面するのは、やはり「孤独」な生活である。

長時間労働による父親の不在は、若い世代にも影響を及ぼしている。
父親と接した機会が少ない若者が、父親になったとき、子どもとの接し方が分からない、子育てに自信がない、という悩みを抱えている。

時代の流れを感じ、父親の育児参加は当然、という意識はあるものの、実際にどうしていいか分からない。
特に、家庭科共修世代以前によりその傾向が顕著にみられる。

日本の男性は、「世界で一番孤独」な居場所のない男となっている。


一方で、「時間」のない女。

男女雇用機会均等法は、男女の雇用の入り口を二つに分けてしまった。
時間・場所・職種すべてが無限定の「総合職」と限定的な「一般職」。それが、結果として、女性の再就職の困難、女性の非正規雇用層の増加をもたらした。
就労の機会、キャリアアップのチャンスのない女性に課されたものが、家庭内の家事全般・ケアワークである。

家事は、家電の発達によって軽減はされなかった。家電の発達は、家事を高度化させ、日本の主婦は高いレベルの家事・育児を求められている。
結果的に、そうした無償労働である家庭内労働が世界的にも最も負担が重いものになり、無償労働とパートも含めた有償労働を含めて、日本の女性は「世界一忙しい女性」になっている。

対処方法は、もう各書で論じられていることと同様だ。

女性の社会進出とともに、男性の地域・家庭への回帰を促す。
男女ともに、働き方、家庭生活のあり方の再編。


だけれども、こうした改善に一向に進まない。
みんな、そう思っていてもなかなかできない。

最近、多くの知識人が気づいていて、発信もしているにもかかわらず、変わらない状況に嘆いてしまうことが多い。

こうした時空間の歪みを放っておいた先の未来はどうなるのか、というところの想像力をもっと膨らましたほうがいいのかもしれない。そのためには、もっと知識人・文化人・学者の発信・民間・国との協働が必要になる。

ここでも、微力ながら、こうした情報を発信していきたい。
そして、少しずつ社会の方向性を変えていきたい。

「居場所」のない男、「時間」がない女/日本経済新聞出版社
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現在、公開中の映画、『きみはいい子』を観てきました。

児童虐待・ネグレクト・虐待の連鎖といった重いテーマを扱いながらも、やさしい気持ちにさせてくれる、どこか希望を感じさせる映画になっています。


※以下、ネタバレ含みます。

物語は、連続短編である小説のストーリーが同時進行的に流れていきます。

「先生は、みんなに難しい宿題を出します。それは家族のだれかに抱きしめられてくることです。」

主人公の新任教師の与える印象的な言葉。
この言葉が、最も強く響くように、この映画は構成されているかのようでした。

物語前半の様々な問題を抱える子どもの現実の辛いシーンの連続、傷つけられた子ども、教師や親の苦悩。

疲れてしまった主人公を、ぎゅっと抱きしめてくれたのは、小さな甥の男の子。
ぎゅっと抱きしめて「がんばって」と何度もやさしく声をかけるその子の姿は、とても優しく暖かみのあるもので、まず泣かされてしまいます。

そして、その子の母親でもある主人公の姉が伝えるメッセージ。
私がこの子にやさしくすると、この子もまねして他の子にやさしくしてくれる。子どもをかわいがれば、世界が平和になるわけ!」


この抱きしめられた時の「不思議な気持ち」を生徒のみんなに感じてもらいたい。
いじめっこもいじめられた子も虐待された子も、いろんな38人が集まった教室で、それぞれが誰かに抱きしめられてくる。

次の日に抱きしめられた子どもの感想を聞く部分は、ドキュメンタリーとして撮られ、決められたセリフのない素直な感想を一つずつ取り出しています。そこでは、ストーリーの連続性のなかの演技では表現できない、とても自然な表情が見られます。
そんな自然な表情は、先生の与えた宿題の「答え」として、驚くほど強い印象を与えて物語に挿入されています。

物語の後半は、次第に希望の色が見え始めてきます。桜の花びらに見立てた演出や色調も陰りのあるものから暖かみを帯びたトーンに代わり、映像的な仕掛けも相まって、物語はクライマックスを迎えます。

原作に忠実に、物語は最後まで答えを明かすことはありません。子どもを本当に救うことができるのか、どこに希望があるのか、明確に答えを教えてはくれません。

この映画で伝えているのは、そのきっかけや小さな一歩になる「ヒント」です。
大人も子どもも「だれかに抱きしめられること」。恥ずかしかったり、なつかしかったり、やさしくなったり、不思議な変な気持ち。言葉ではうまく表せないいろんな気持ちが混ざった感情。

きれいな言葉でまとめられず、なんだよくわからないけど、こんなことを先生は感じてもらいたかったんだ、というあやふやな言葉は、頼りないようでとても人を安心させるものだと思います。

問題を解決するための強いヒーローを求める映画ではなく、だれでもできるきっかけを掴ませてくれる、優しい気持ちにあふれた映画でした。


([な]9-1)きみはいい子 (ポプラ文庫)/ポプラ社
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『小さき声のカノン』


核廃棄物の最終処分場である六ヶ所村の問題や、祝島に新たに作られようとしていた原子力発電所など、一貫して放射能・原発問題に取り組んでこられた監督・鎌仲ひとみさんの映画。

震災前にミツバチの映画を見て、最近、どうしてるんだろう?と思ったら、ちゃんと映画を作っていました。

震災から4年が経ち、原発の問題や福島の復興といったニュースがだんだんと色あせていくように少なくなっている気がします。

震災後、一時的に東京は混乱し、多くの人が関心を寄せるようになったものの、日常を取り戻す中で、それらは記憶から遠のいていきます。


でも、いまだにその中で戦っている人たちがいる。
そうした人に密着したドキュメンタリー映画です。

特に、原発に反対か賛成か、答えを求めている映画ではないし、僕もそうした議論は世の中を二つに分けてしまうだけの無意味な問いだと思っています。

放射能という目に見えない、その影響が何十年後かに発生するかどうかはっきりしない、そして人が決めた基準値を「安全」とするか、本当に影響がないと断言できるのか。

そこに住む人たちは、住んでいない人以上に、多くの情報に触れ、またその多くの誤りや過剰な反応・発言を目の当たりにしているはずです。

そのうえで、その場所で住むことを選択し、自分の判断は正しいんだと信じて日々の日常を送っている。

地震を体験すると、自分がいま安全だとおもって立っていたこの場所が、じつはとても揺らぎやすい弱いものなんじゃないか、という気持ちになります。

そうした地震と同じくして、大丈夫だと思っていたものが、目に見えない脅威として現れます。

結局のところ、当事者にとってしか、分からないことだけれど、その不安や日々の小さなストレスの重なりは想像しがたいものです。

ただ、こうしたドキュメンタリーは、そうした当事者が、自分たちの小さな行動や決意が正しいかどうか分からないけれど、日々をただ普通に暮らすために戦っている、その様子を事実としてとらえていきます。

そうした「小さき声」を、今もこの監督は拾い続け、世間に訴えかけているのだと思います。

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