【ゲニウス・ロキ】vol.7 植田正治写真美術館 | LPE.建築studioのCOLUMN

【ゲニウス・ロキ】vol.7 植田正治写真美術館

鳥取県米子市から少し南東、西伯郡伯耆町(さいはくぐんほうきちょう)にある「植田正治写真美術館」。

大山に抱かれるように存在するその建物は、島根県出身の建築家、高松伸氏が1995年に設計した、町立の美術館だ。


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山陰(島根県松江~鳥取県米子)には、高松氏の建築が数多くあるが、90年代以前のバブリーな時代を思わせる、派手で幾何学的なデザインのものが多い。

しかしながらこの「植田正治写真美術館」は、その後の高松氏を思わせる、落ち着いた、存在感のある建築だった。


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この建築の代表的なシーン、「逆さ大山」。

うらやましいほどに恵まれたロケーションだ。


90年代以降、高松氏のデザインは変化した、と一般的に言われているが、中に入ってみると・・・?


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妙に「線」の多い、骨太な階段。


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初期の代表作、「織陣」を思い出させる、サイン。


「あぁ、やっぱり高松さんだ」


と、どこかホッとしてしまった。



さて、肝心な「植田正治(うえだしょうじ)」氏について。

こちらは地元鳥取県境港市出身の写真家。


私がココに訪ねた際、丁度植田氏の展覧会が開催されていた。

晩年の、「写真」という枠に収まりきらないような作品は、勉強不足の私には少々理解しきれなかったが、1950~1970年代の絵画主義写真と呼ばれる作品は、妙に引き込まれ、写真家の息づかいや感情がそのまま伝わってくるようなものが数多くあった。


「植田正治」と言えば、有名なのが福山雅治のシングルCD、『HELLO』のジャケットを手がけたコト。

絵画主義写真時代の作品をみた後に、『HELLO』のジャケットを見ると、


「確かに」


と納得せずにはいられない。


福山雅治はこのジャケット撮影以降、植田正治氏に強く惹かれ、「人生の師匠」と仰ぎ敬愛したそうだ。

彼がカメラを持つようになったのも、植田氏の影響からかも・・・?


そうそう、以前米子の知人に聞いたのだが、植田氏を敬愛する福山雅治は頻繁に米子近辺を訪れるらしい。

福山雅治ファンの方は、是非、米子~境港を訪ねてみて下さい(笑)



植田正治。

2000年7月4日死去。享年88歳。


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