英国機密文書開示に関しての続きの配信です。

 

 

まず最初に、共同通信の報道では、この機密文書が開示された日付が違っていたそうです。

共同通信は今年の3月9日としていましたが、正しくは去年の11月17日だったそうです。

 

 
英国在住のリサーチャーさんがかなり苦労をされて調べてくださったのだそうです。
文書の量は膨大で、情報を取り出しやすいようにはなっていないため、あちらの司書さんに親切に協力していただきながら、見つけ出してくださったのが今回の内容です。
 
なんと、英国側はこの表にある通り、即位後すぐに訪英してほしいという希望を伝えていたそうです。
 

 
それなのに、1991年にはタイ(笑い泣き!?)とマレーシア、インドネシアというアジアを訪問された。
そして翌年には、天安門事件があり他の国はみな控えていた中国に訪問された。
もう滅茶苦茶ですわ。
 
そして、1993年は以前も篠原さんのところで扱われた、(確か当時の皇太子夫妻が結婚されたばかりでご招待があったのを横取りしての)イタリア・ベルギー・ドイツ訪問。
1994年は、アメリカ・フランス・スペイン
フランスとスペインなんてイギリスとはすぐ隣だというのに…
 
1995年と1996年は海外には行っていなくて、1997年はブラジル・アルゼンチン。
そしてようやく1998年に英国・デンマーク。
 
英国では日本の皇室との関係を大事にしていて、新天皇夫妻ともできるだけ早く来英していただいて、関係を深めたいと思ってお誘いしていたそうです。
それと、当時英国は下の表のスクショにある通り、1991年からしばらくは、チャールズ皇太子とダイアナ妃とのことで、王室も英国も大変暗く重かったので、日本から新天皇皇后に来ていただいて少しでも明るくしたいと思っていたそうです。
 

 
🥗さま、冷たいのね。
英国には息子たちもお世話になったのだから、困っている時はその意を汲んで少しでも協力して差し上げようとか思わなかったんですね。
こういうところは外交の資質がないと言えますね。
 
やはり今回両陛下が英国ご訪問されるのは、英国を助けることになりますね。
国王と皇太子妃ががんで闘病しているという大変な時期に、どこかからそんな大変な時に行かなくてもと言う声が聞こえましたが、こんな時だからこそ行って差し上げたらいいということなんですよね。
明るくなるじゃないですか。
チャールズ国王と日本の天皇陛下が兄弟のように仲良しで、ご病気を心配してきてくれたというの、英国の国民だって嬉しいと思いますよ。
陛下には癒しのパワーもおありですから、国王を始めとしたご家族が明るくなっていただけたら嬉しいですよね。
 
それで、その他にも🥗さんが訪英を渋った理由が、以下のスクショの通りです。
 

 

終戦50周年と言う時期は難しい時期で避けたかったようです。

そして、自分以外の皇族の方々はみな、英国王室との関係は緊密で、特に皇太子と皇太子妃殿下は英国留学をしているし、🍁も聴講生でほんの少し、そして久子さまはケンブリッジに留学されて、修士までとられているとのこと。

どうやら自分だけが関係性が弱いという不安感があったようです。

両陛下と言っても、当時の陛下は英国には行っていて女王にも会っているので、不安なのは🥗さまだけだったでしょう。

 

でも、私が個人的に疑問なのは、その後は女王の即位何十周年とかの行事には、長男への招待を奪ってでも行っていて、エリザベス女王とは対等位の態度で行っていたようなので、一度行って安心しちゃったんですかね。

このあたりにもっとなにかありそうですね。

失礼なこといくつもやらかしているんじゃないでしょうか。


とりあえず昨夜一度聞いただけの段階でですが、取り急ぎここまででアップします。

 

風邪をこじらせておりまして、少し休んでからもう一度聞きなおして、何かあれば更新しますね。