買い物・料理・後片付けに忙しく、一日中PCに向かっていられないので、過去に保存しておいた写真や文章を引っ張り出して更新します。
こちらも、某掲示板から頂いてきた写真で<(_ _)>
晩年の昭和天皇と幼少時の敬宮さまのお姿の、似たようなポーズのものを並べたものです。
昭和天皇は手を上げて拍手や声援にお応えされているところで、敬宮さまは、御所のお庭でご両親と一緒にお歌を歌いながら手遊びしているところです。
どうでしょう、雰囲気似ていると思いませんか。
年齢と男女の差はありますが、私は雰囲気が似ているなぁと思いました。
というか、何か理屈なくうれしい
昨日の記事に対して読者様たちから頂いたコメントがどれも秀逸です。
長文なので引用はしませんが、よろしければお読みください。
少しずつ深いところにあった闇が見えてきました。
どうやったらすべて綺麗に浄められるのだろう、と愕然とする思いですが、こうして分かったことが大事で、そこから浄化が始まるのだと思います。
日本の良き伝統、皇室の正しいお血筋、これを守っていかねばなりません。
本物の天皇となるべき方を見る目というのは、私たちは日本人としてDNAレベルに組み込まれているのだと思います。
自然とそれを察知して感動するというセンサーみたいなもの。
だから、例えば伊勢神宮や神武天皇陵や明治神宮などにたくさんの人が集まって、敬宮さまのお姿に日本人としてのセンサーが反応して、何とも言えない感動というかありがたいという思い、よかったという安心感みたいな感覚が湧き出てくるのだと思います。
そしてそれは全く知らない人同士でも共有できます。
車列が去った後に、みんなで撮った写真を見せ合いっこして喜ぶみたいな、言葉がなくても共有できる喜びみたいなことです。
この方々がいらっしゃれば日本は大丈夫。
自分もだけど子孫も大丈夫だという感覚。
そして、この方々が正しくあるので、私たちもそうありたいと思える、と言う感覚。
やはり日本人は正しいお血筋の、真に国民に寄り添ってくださる今上ご一家の元で未来に向かって歩んでいきたいのです。
ちょっとスピ的な解説を。
エネルギーは高いところから低いところに流れるという法則があります。
両陛下と敬宮さまを拝見して感動するというのは、ご一家の波動が高いからです。
いつも高潔でいらっしゃるから、それよりはもちろん低い私たちに、ありがたいと思えるエネルギー(慈愛や安心感など)が流れてくるのです。
でも、🍁家の人たちは、一般国民よりやっていることがあくどいので、国民からあちらに流れるというと変な表現ですが、パワーを吸い取られる様な嫌な感じになるのです。
やはり象徴は敬愛できる方でないとなりません。
皇族が国民の良心、誠実さを逆手にとって私腹を肥やすなんて、ありえません。
国民より波動の低い人たちを象徴として戴くなんて、あってはならないのです。