先日から話題になっている、皇族の身位に関して、新たに情報をいただきましたのでお知らせします。
コメントでも数人の方とやり取りをしつつ、私が最初の方でまだよくわかっていない段階で、この件でXにポストしていたら、そこに重要な情報をお知らせくださった方がいて、それを見て行ったら色々なことがわかってきました。
まず、Xでいただいた情報はこちら
↓
2004年7月1日までは敬宮殿下。7月2日の更新から現在に至る
Internet Archive(wayback machine)で宮内庁のURLを叩くと1999年11月26日まで遡ってページを見られます。
と2回に渡って教えてくださいました<(_ _)>
つまり、こちらは昔のHPを見ることができるサイトなんですね!
2004年7月1日を見るとこうなっています。
ところが、2004年7月3日にはこんな風に更新されています。
ね?これは動かぬ証拠ですよ。
それで、当ブログの読者様でやり取りをしていて、昨夜いただいたコメントではこんな風に分析してくださいました。
こちらの皆様の書き込みを拝見して、「宮内庁ホームページ 敬宮」で検索をかけたところ、面白いこと(いえ面白くはないですね、腹立たしいこと😤)を発見しました。
それは、皇太子殿下(当時)のお誕生日会見の中での記者からの質問です。
平成18年2月
>問2 敬宮愛子様が今春,学習院幼稚園に入園されます。最近のご成長振りについてお聞かせください。殿下ご自身が受けられた皇族としての教育を振り返りつつ,教育方針についてもお聞かせください。
記者は「敬宮愛子様」と質問していますね。
平成19年2月
>問3 愛子さまは去年,着袴(ちゃっこ)の儀を迎え,来年は小学校に入学されます。最近の成長ぶりや健康管理,内親王としての今後の教育方針についてお聞かせください。去年の天皇陛下の誕生日会見では,陛下が愛子さまについて「いずれは会う機会も増えて,うち解けて話ができれば」との意向を示されました。両陛下とご一家との,今後の交流の在り方についても,お考えをお聞かせください。
令和6年2月
>問3 今年、愛子さまは大学卒業後、日本赤十字社に嘱託職員としてお勤めになり、秋篠宮家の悠仁さまは成年を迎えられます。愛子さまの最近のご様子や大学生活での思い出深い出来事とともに、日赤への就職にあたってご家族で話し合われたこと、お一方での公的な活動の見通しや、ご結婚への考えをお聞かせください。皇位継承順位2位の悠仁さまの成長についてどのようにご覧になっていらっしゃいますか。今後期待されていることをお聞かせください。
平成19年2月から現在令和6年2月まで記者からの質問は「愛子さま」。
平成18年9月に秋篠宮家長男が誕生していますので、御称号の敬宮を使わなくなったのは、明らかに御称号を持たない親王への配慮だと思います。
2004年7月といえば2004年5月10日に皇太子殿下の「人格否定発言」がありましたね。
この年から宮内庁が「敬宮」を使わなくなったのなら、もう誰のため、誰の指示なのか明らかすぎるのですが💦
いかがでしょうか。
分析してくださった読者さまのご指摘通りですよね。
つまり、記者は平成18年2月には、敬宮愛子さまと宮をつけてお呼びしています。
なのに、平成19年2月には愛子さまとなっていて、宮がつけられていません。
平成18年は西暦では2006年です。
2006年と言えば、その年の9月にが生まれています。
簡単に年表にしてみますね。
2004年5月10日 皇太子殿下の人格否定発言
2004年7月1日までの971庁の皇族の構成には、敬宮殿下となっている。
2004年7月3日に更新があり、愛子内親王となっている。
2006年2月の記者会見では、記者は敬宮愛子さまと呼んでいる。
2006年9月ぼったま生まれる。
2007年2月の記者会見では、愛子さまと呼んでいる。
HPの変更から3年のズレがありますが、これはHPを変更しただけで徹底がされていなかったのでしょうか。
2006年2月以降から2007年2月まで、ぼったま誕生を挟んでのどこかで、敬宮さまのご称号が呼ばれなくなったということになりますね。
私が分析できるのはここまでです、どなたか他にわかることがありましたらコメントください<(_ _)>