こちらの記事より重要部分を抜粋
『A宮は通いだがタイ国としては「夫」の位置づけだった。
タイ国としては、三女チュラポーン王女の存在をアピールするために
タイ国民の人気の高い次女のシリントーン王女を賢所前で参列させた。
天皇家も、タイプミポン国王の体面を尊重し
参列も皇太子と同時に先頭で入り、最初は当時の皇太子、次に清子が案内した。』
若い女性の間ではキコフィーバーが起こり…
だが「英国のロイヤルウェディングに比べて世間の感情がはるかに抑制されていることが判明した」
「卑しい身分の生まれ(humble origin )」と書かれていた
兄より先に結婚したこと、なぜそんなに急いだのか
王族にふさわしい結婚ではない雰囲気があった
結婚式は私事だった
7)タイの王族の日本訪問が、主にチュラポーン王女の訪問がすべてアーヤの誕生日の直前に来ている。
シリントーンも1度くらい
特別な関係であることがわかる
オックスフォードに滞在中のこともあるらしい
これから探すとのこと
英国としては戴冠式に来てほしくなかった
どの面下げてとはこのこと
シリントーンが来るから特別扱いするこの現場に外国の王族が来ちゃいけなかった
王室には暗黙の格があるので、タイは呼んで英国は呼ばないとは…
イギリスから信頼されるわけがない
そんな人が皇位継承するのはおかしい
昨夜の配信からのものはここまでになります。
いや~ものすごいですね。
当時日本国民は何も知らなかった。
隠されていたんですね。
こんな海外に失礼な結婚をした負債を、次代の天皇家になんて考えている971、国会議員など、日本って本当におかしいです。
こんなに詳しいことまで知られていて、それでも戴冠式にのこのこ出かける夫妻の神経も信じられないです。
恥という概念がないのですね。
女王の葬儀は両陛下が何とか頑張ったので行けましたが、本当によかった。
それで、タイのことですが、当時、なぜ🍁はタイに行ったのか。
それは、これも推測ですが、箔付けだったのではないか。
ここで10個くらいの博士号を得ています。
日本の取り巻き学者が連れて行ったのかも。
それで出入りしている際に、未成年の女の子の〇〇に行ったり、何人かの女性に✋を出したりして暗躍していたのでしょう。
それで、実際にいい仲になり、🍁の子供までいるのは、チュラポーン王女です。
この方結婚していて子供もいました。
その後離婚しています。
当時のタイの王様は、🍁より年上ですが独身だった次女のシリントーン王女と結婚させたかったようです。
でも、🍁は妹の方を気に入って…両方に手を付けているかも…
だから、ベトナムでは👹さんは側室扱いになっていたのです。
というか、ベトナムにも情報は行っていて、humble origin だから正室として認めていないのかもしれませんがね。
またこれをまとめて次回もあるようです。
このことはいまだに信じられないという方に、信じてもらいやすい事柄ですよね。