暗かった気持ちが一気に明るくなるニュースが入って来ました。
🌸記事より
敬宮さまが日本赤十字社でボランティアに関する情報誌の編集などを担当されていることが分かりました。
側近によりますと、愛子さまはグループや個人による赤十字のボランティア活動について、ウェブ上などで閲覧することができる情報誌の編集を担当されているということです。
さらに、ボランティアに関する研修会の運営などの業務も担当し、いずれも先輩の職員と一緒に仕事をされているということです。
凄いというか、ステキです。
文章を書くのがお得意なので、ピッタリですよね!
そしてさらに他社のニュースでは新たなことも分かりました。
愛子さまは、皇族としての活動と、日赤の職員としての仕事の両立を目指し、今後は在宅勤務なども取り入れられる可能性があるということだ。
確かに前日の明治神宮参拝の時のように、午前中に参拝し午後から出勤などと言うときには、そのまま御所でできますよね。
また、翌日でしたか、仙洞御所に挨拶に行かれた際にも、午後4時からなのに一日お休みされたとのことだったので(なんでも、いつ呼ばれるかわからないから朝から待っている必要があったからと言われています)こういう場合に空いている時間でできるからいいですよね。
しかし👵は意地悪ですね。
普通孫娘が就職したばかりで、一生懸命慣れようとしている時、そっと応援することはあっても、一日私のために空けておけ!とは言いませんよね。
敬宮さまは明治神宮の半日と、この👵の一日空けておけの一日しか、お休みされていません。
それから、こういうことは後になるといろいろわかるようで、明治神宮での女性SPにつかまって歩かれているのって、杖つけばいいじゃないかと思うじゃないですか?
でもああいうこと…以前の👴のもですし、海外王室の王妃さまにも肘つかみやっていたじゃないですか、ああいうことをするのって、ヒロイン願望…お姫さま扱いされたいからなんですって。
心理学的に言うと。
めんどくさい👵ですよね。
本物のお姫さまだって(常陸宮妃の華子さま)杖つきますよ。
傘も、よく見るとすごく小さいのを差していたんです。
女性SPさんは大きめのをしていましたから、それとの兼ね合いかなと思いますが、それでも奇妙なほど小さいです。
あれですかね、当日雨だとわかって、あの奇妙なほど小さい傘を探して購入したのですかね。
後ろから懸命に傘を差しかけている男性の職員さん、大変ですね。
そしてこちら
職員に傘を差させたまま超ご丁寧なお辞儀を2回しています。
これ必要ですかね、この大雨の中、職員2人はその間自分には傘が掛かっていないからびしょ濡れになっているのに、両陛下ならそこを気遣ってササっと乗り込まれるのではないかと推測します。
車に乗り込むときの足腰の様子を見ると、結構しっかりしていて、なぜあの時よろけたのが疑問です。
階段でヒールを履いてスカートの裾が絡まったせいだとは思いますが。
ああ、せっかくの敬宮さまの良いお話をしていたのに、すみません。
こちらは女性自身の最新号の記事です。
中々の良記事ではないかと思います。
記事より
↓
愛子さまにとって、明治天皇の后・昭憲皇太后は5世代前のご先祖にあたる。
「昭憲皇太后は“博愛の人”として知られています。日赤が前身の博愛社だったころから支援していたのです。そして1887年、明治天皇と昭憲皇太后が皇室の保護のもとに運営する意思を示され、名称は『日本赤十字社』とあらためられました。
1912年には、赤十字国際会議に際し、10万円(現在の3億5千万円相当)を寄付。その寄付金をもとに『昭憲皇太后基金』が創設されたのです。当時、赤十字は戦時救護活動がメインでしたが、自然災害や疾病予防のための基金設立は画期的なことでした。
いわば“日赤の母”ともいうべき存在です。愛子さまもご参拝当日には、運命的な絆をかみしめられたことでしょう」(前出・皇室担当記者)
静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは、昭憲皇太后と愛子さまの共通点についてこう語る。
「恵まれない環境にある人々に心を寄せ、支援の手を差しのべていた昭憲皇太后、そして幼少のころより弱者への思いやりを示されてきた愛子さま。110年のときをへて、日赤という歴史のある組織を介してお二人の信念が結びついたことに、深いご縁を感じました。
昭憲皇太后は、女性の社会的地位が低かった時代に、女性の自立や地位向上のために努力されました。愛子さまも『さまざまな困難を抱えている方の力になれる仕事ができれば』と、日赤就職を決断されたそうです。ポジティブに自分で努力しようとするご姿勢は、お二人に共通していると思います」
昭憲皇太后に敬宮さまが似ていると言っていますよね。
なんだかマスコミらしい書き方だなと思ったのですが、でも、ということは、🥗👵には似ていないと言っているとも取れなくもないですよね。
こう思うとなんだか痛快だなと思えて一人で笑っています。
いいですね、こういう風潮は。
大正と昭和の皇后さまだってご立派でしたよ。
平成だけなんですよ、税金で服を作りまくってお出かけばかりして、マスコミに撮らせて「慈愛のミテコさま」という雑誌出させていたのは。
敬宮殿下が表に出始めたことで、より平成の闇が浮き上がって見えるようになりましたね。