昨夜は早めに寝たので、早朝に目が覚めてネットをチェックしていたら、こんなものすごいものを見つけました!
 
もりよーへーさん、どうしちゃったの?
 

 

え?え?この方って🍁さんの擁護記事を書きまくって、本を2冊も出した方ですよね?

鬼畜リストにも入っていますよね。

こんなまともな、歴史のことを詳しく、それもすごくわかりやすく書ける方だったの?

私失礼ながら見直しちゃったんですけど。

こういうのを寝返るというの?

一体何があったの?

 

長いですけど、ぜひぜひお読みください。

ちなみに今現在はヤフーからは下げられているようです。

 

かいつまんで簡単にだけ説明しますと

後桜町天皇が即位に至った経緯を説明してくれています。

 

後桜町天皇の前の天皇は後桜町の弟の桃園天皇なのですが、この方脚気で21歳で急死されて、そのあとをどうするかで大変もめたようです。

それでいろいろと大変だったことを書かれていて、そのあとの結論をこんな風に締めくくっています。

 

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こうした経緯から分かることは、皇位継承で最も重要だったのは直系相続であることだ。皇位は、桃園天皇の子どもへとつないでいくという原理である。裏を返せば、男系でつながっているだけで実は系統が遠い傍系には、皇統を移したくなかった。

 

野村玄は先の論文で
「宝暦期の天皇家と世襲親王家は血縁として遠く、世襲親王家からの践祚は、事実上の皇統変更になってしまう恐れがあった」
「近世において、男系相続の考え方は確かに存在したが、より本質的には直系相続が模索されており、女帝後桜町天皇の践祚と譲位はその方法的一環であった」
と書いている。 
 
現在、旧宮家復帰案を唱える人たちは、男系継承だけが皇位継承の伝統と考えている。だが、直系継承こそがより本質的な原理であるという近世史家の指摘は重要である。その原理で言えば、悠仁さまより愛子さまへの継承のほうが、より近世の伝統に近いということになるだろう。
 
それで最後はこれですよ!
 
後桜町は譲位後も論語を学び、「仁」「恕」の概念を、31歳年下の光格天皇に書き付け、天皇としてのあり方を、女性らしいこまやかさをもって説き続けた。中御門系の天皇本家に残った者として、大姪(おおめい)の夫(光格)に天皇のあり方を教えなければならないという決意を持った生涯であった。  
後桜町天皇の聡明さは、現在の愛子さまを彷彿(ほうふつ)とさせる。女性だから皇位に就けないというのは日本の伝統ではない。女性だからこそできることもあると後桜町の生涯が教えてくれる。
 
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ね?なんだ森さん、ちゃんとしたことが書けるんじゃないの?!と思いませんか。
やだ、涙が出てきちゃった。
🍁さん、見限られちゃったんですかね。
🙌🙌🙌ばんざーい\(^o^)/
 
 
一番しっくり来たヤフコメです。
★とても興味深く、伝統というものの本質について解説している良記事ではないだろうか。一部の国民ごときが皇統は男系に限るとし、大手を振っている現状に非常に怒りを覚える。天皇よりも伝統に詳しいとうそぶく人間達のなんとあさましい事か。 中継ぎの天皇という論はよく語られるが「なぜ中継ぎが必要だったのか」という域には語られず、主に「皇位継承するに相応しくない」論で語られる。このような非常に必要性を含まれる意味合いでしっかりと論じられた事に好感を持つ。 皇室は古来より諸外国や儒教思想の血統観に合わせながらも本来の直系優先の継承思想を持ちながら細々と続けておられた。守られるべき本質的な伝統を未来に残すためには敬宮殿下の立太子しか有り得ないだろう。男系男子継承に愚かにも拘り、悠仁殿下を国民の為の男を産む機械と扱う無礼を許しておいていいのか。