昨日もリンクを貼りましたが、私自身もう一度見返して見て、これはちゃんと書いて残しておかなければならないと思いました。

ガールズチャンネルに投稿してくださって教えてくださる方々には、いつも感謝しています。

私にできることは拡散なので、貴重な情報を使わせていただきます<(_ _)>

 

 

雅子さまについて

謂れのないバッシングの集中砲火を受けられていた頃でも、宮内庁関係者とみられる方から雅子さまを庇うようなタレコミ記事は出ていた。


「雅子さまはあのキャリアから誤解されるが、とてもお優しい方」
「皿洗いを手伝って下さり気さくなお人柄」

公務しないって批判的な記事が多かった時も
「雅子さまがお忍びで心を寄せられ訪問されていた養護施設の方から、体調を崩されてからもクリスマスになると子供たちへ可愛いお花を贈って来てくださる、子供たちも楽しみに、雅子さまのことを心配している」
との記事も散見されていました。

職員の方々をはじめ相手を大切にされていると、ある方とは真逆の内容が出ていた。

 


私たちが即位の儀式関連でお越しになった海外要人、特に王族の方々と雅子さまが親しげに接していらっしゃるお姿を見て、ずっと閉じ込められていたのにどうやって海外の方々と交流を深められたのか、というのが大きな疑問点だと思います。
 

ある一つの仰天内容を見つけましたので、書きたいと思います。

これまでも書いてきましたが

お世継ぎを産めとプレッシャーをかけ続けてきたのに、ありえないほど多くの宿泊付きの地方公務をたくさんさせた。

それまでのこととプラスして、メキシコ大統領晩餐会での紹介飛ばしがきっかけで、雅子さまはお倒れになり、長い療養生活に入られた。

 

そしてここからです!

 

2004年(平成16年)は1月から12月中旬まで、雅子さまの活動が宮内庁HPに記載されなかった(少なくとも2件の活動が週刊誌に報道されているのに)。
異変に気が付いた海外の王族方は、雅子さまを心配して「山のようなお見舞い品」を送った。

 

↑これ初めて知りました。

 

お見舞いが送られてきて、それを🥗がすべて送り返した。

自分が欲しいものはもらって、あとはすべて送り返した、とかは知っていましたが。

王族の方々は雅子さまのご様子を常に気にかけて、971HPをチェックされていたんですね。

そして…


なんと🥗命令で、宮内庁は「全て送り返してしまった」
お見舞い品を送り返された王族方はビックリして、本気で心配して、いろいろ情報を交換した。

 

ここからもすごいですよ!

 

2005年(平成17年)春には、心配した海外王族たちの、宮内庁を通さず自ら東宮御所まで訪ねて来てくださる訪問ラッシュはすごかった。
なお、この年以降は海外要人と親しく挨拶する雅子さまに対する嫉妬を恐れて、雅子さまは玄関外に出ないので車寄せ歓迎写真には写っていない。

 

たしかに!いつも東宮御所の玄関では皇太子殿下のみお一人でお迎えでしたので、ちょっと見ていて寂しかったのを覚えています。

そうですか、カメラに映らないところに雅子さまはいらっしゃったんですね。

 

そしてここからがもっとすごい!

🥗は、各国の王族が自分のところへ挨拶に来ないのに東宮御所だけ訪問するから怒り心頭で、外務省から海外王族達へ文句を言わせようとした。
でも外務省が、王族のプライベートな行動に口出しは出来ないって突っぱねた。

もう一人の方の表現だと、海外からの要人が東宮御所に行かないように外務省に文句を言ったそうですが、私的訪問だから無理だと突っぱねられた。

(外務大臣だった麻生さんに「ンなこと出来るわけねーだろ!」と一蹴された)

麻生さん、グッジョブ!)


そしたら、🥗はストーカー行為を始めたガーン

 

2005年(平成17年)4月4日最初の賓客は王族ではなくドイツ大統領夫妻
🥗夫妻と会見した後で、大統領夫妻は東宮御所で午餐を共にした。

午餐は雅子さまも一緒だけど、🥗の嫉妬を怖れて玄関の内側で待機し、車寄せでは天皇陛下だけがお出迎えされた。
 


そしたら、自分達は会見だけなのに、息子夫妻とは午餐を一緒にすることに嫉妬した🥗が、10分後に夫妻連れで東宮御所に押しかけてきた。
ガーンガーンガーンアセアセアセアセアセアセ

「さっき別れたばかりの美智子夫妻が突撃してきた!」
大統領夫妻も天皇皇后両陛下も恐ろしさで固まってしまわれたことでしょう。

その後、当時の皇太子殿下と大統領夫妻は一緒に、東京国立博物館平成館で「日本におけるドイツ2005/2006」及び「世界遺産 博物館島 ベルリンの至宝展」開会式に出席する予定が詰まってるのに…。

ドイツ大統領は、🥗を完全に気〇い認定しただろうし、それを放置する日本政府の問題点も本国に報告したと思う。

なお、午餐では愛子さまを大統領夫妻に紹介された。
週刊文春 2005年5月19日号
 
いや~びっくり仰天、こんなことが皇室内で繰り広げられていたんですね。
これは後年いろいろ落ち着いたら、大河ドラマになりそうな物語ですが、当時は深刻というか誰もどうにもできないほど恐怖な出来事だったのでしょうね。
 
でも、それを放置する日本政府の問題というのは本当にそうです。
情けないです。
気〇いをそのままにしてやりたい放題させておく、当時の天皇、971、政府。
日本って野蛮な国認定されていたんじゃないですかね。
超まともというか絶大な人気を誇り、海外王族の方からも好かれて大事にされている当時の皇太子ご夫妻に、こんなに多大なご苦労を掛け情けない思いまでさせて、いい笑いものですよ、情けない。
 

もともと皇太子と雅子様が結婚された時(1993年)に、エリザベス女王陛下から「銀製の小物入れ」が贈られていたのですが、例えばエリザベス女王陛下の個人誕生日(4月)にプレゼントと私信を毎年贈ったり 別の日に女王陛下と個人的に電話で会話されていたと聞いています。
またチャールズ皇太子(当時)の誕生日(11月)にも同様に連絡を取り合っていたのが伺えます。
他の欧州の皇太子とも同様でしょう。


東宮の中東訪問(1994年・1995)もあって中東の国王王妃、皇太子、王族が挨拶に来ていました
(中東王室交流は👴👵や🍁家が口を挟めなかった)

 

 

 

こういったエピソードはどうやって知ったのか、という問いに

 

非公式のロイヤルや大統領・首相などと接見したまとめブログがあったことと

令和になってからネットや SNS などで海外ロイヤルとの交流に努めていたことがわかるエピソードが少しずつ出てきたことから明らかになってきた。
スペイン現国王と陛下がスペイン語での電話のやり取りがあったことが SNS でわかりました。(SNS はすぐに削除されました)

 

もう一つの根拠として
この間の高島屋の展示会では、ご成婚の時のエリザベス女王からの銀の小箱(ダイヤ飾り付き)プレゼントと、チャールズ皇太子(当時)の銀の小箱(多分サファイヤの飾り付き)プレゼントが展示してありました。

 

それ私も見ました!

 

2005年(平成17年)4月7日ご夫妻で晩餐(スウェーデン皇太子殿下)(東宮御所)

 

 

2005年(平成17年)4月12日ご夫妻でご接見(ノルウェー皇太子殿下)(東宮御所)

 

 

2005年(平成17年)4月18日「午前」デンマーク王国フレデリック王太子同妃メアリーご夫妻を迎える徳仁皇太子さま(東宮御所表車寄)

 

 

2005年(平成17年)4月18日「午後」結婚お披露目と愛知夢万博のために来日したオランダ・ウィレム=アレクサンダー王太子とマキシマ妃来日、雅子妃を心配して直接訪ねてくれて「午餐」(東宮御所車寄せ)

マキシマ妃は第二子ご懐妊

 

 

だから、即位の礼ではこんな風に。

即位の礼でオランダ国王夫妻のお祝い

 

 

 

2005年(平成17年)4月20日 来日した英・ヨーク公アンドリュー王子を車寄せ皇太子様(東宮御所)

アンドリュー王子もミテコチャブを訪問せず爆  笑

 



▶2005年(平成17年)6月5日スペイン皇太子夫妻東宮御所でご一家との晩餐
敬宮愛子さま(3歳)を紹介(週刊誌)(東宮御所)

 

 

だから、即位の礼の時はこんな風に

 


 

2005年(平成17年)6月9日カタール首長夫妻が訪問(東宮御所)
カタール首長夫妻は雅子さまの活動が宮内庁HPに記載されなかった2004年(平成16年)の翌年、直接東宮御所へいらっしゃいました
ハマド・ビン・ハリーファ国王
モーザ第二王妃

 

 

2005年(平成17年)6月17日ベルギー皇太子が訪問午餐(東宮御所)

 

 

その他多数あります。

まさに世界の王族方の雅子妃お見舞い来日ラッシュ!

 

これを見て、🥗さまは引き付けを起こしたのではないでしょうか。

このシーンこそがご自分がされたかった、喉から手が出るほど欲しかったものだったでしょうね。

 

悔しくて引き付けてもなおご健勝でいらっしゃるのは、もはやお〇りょ〇になられている?