現代ビジネスが「違和感」だなんて、何なんだろうと思って読んでみました。

 

 

単に引きつけたかっただけみたいですね。

敬宮さまはお出ましの度に輝きを増し、国民の心を惹きつけます。

もうこの方しかおられないではないか!と意を強くしてしまいます。

 

お誕生からこれまでのお写真を見返しても、もはや将来の皇太子扱いなんですよね。

あちらが誕生してすぐのころに、何を隠したいのか報道規制をしてきたからなお、報道の舞台では(そんなつもりはないのに当然のように)1人舞台です。

 

学習院の運動会のシーンの写真も、敬宮さまのはたくさんありますよね。

それも感動的なシーンや、すごく活躍されているとわかるもの。

当時の皇太子両殿下のご表情もいいですね。

 

でも、あちらのお家のお子さま方のは、私はほとんど見たことがありません。

ぼったまの大玉転がしの大玉をポカーンと見送るのは見たことがあります。

隣の女の子の水筒を取り上げているのとか、ごゆっくりのかけっこシーンとか。

昨日気づいたのですが、お姉さんたちの運動会のシーンってありましたかね。

私は見たことがないです。

あったけど、出してはいけないって削除されたとか?

 

と、話がそれましたが

この記事の言いたいのは、一般参賀では、繰り返し大声は出さないように、とアナウンスされたのに関わらず、「天皇陛下ばんざーい」とか「愛子さま~」という声が多くあったとのことです。

違和感と書いたのは、閲覧数を稼ぎたいからかもしれず、言いたいことは悪いことではなかったようです。

 

特にここ

「誕生日の記者会見でも、陛下は「国民と苦楽を共にする」とおっしゃった。たしかに皇室は、災害やコロナ禍などの苦難において国民に寄り添ってきたが、「苦」ばかりでなく「楽」も共にしたいと思う国民は多いのではないか。」

 

未来を明るく照らす愛子さま、という表題をつけています。

 

  

「薄いラベンダー色のドレスと帽子をお召しの愛子さまは、皇族方の中でもひときわ目立っていました。堂々としたお振る舞いが美しく、輝いて見えましたね」(参賀者)  そのまぶしさと同じくらい、皇室の未来も明るくあってほしいものだ。

 

↑これが言いたかったようです。

国民は素晴しい皇族にご成長された愛子さまに対して喜んでいる。

そして、両陛下に感謝している。

次期天皇として、先ずは早く立太子していただきたい。

愛子様こそ国民の希望なのだ。

それで、天皇陛下ばんざーい、なのです。

 

昨日気づきというか、ふわっという感じで思いついたのですが

 

かたや、一応男系男子として継承権が付いているが、中身が伴っていないため焦って墓穴を掘りまくっている

 

こちらは中身は充実して整っているが…何せ公的なお墨付きは奪われたまま

 

こういう場合って、変な例えですが、どちらに軍配が上がるでしょうか。

もちろん、その時代の国民の意識が大きく関係していると思います。

その国民の意識と、神様の意思、そしてご本人(両陛下と敬宮殿下)の意思が合わさって、現実となるのだと思います。

中身が重要と国民の意識が変わっていくことがキモです。

(つまり、両陛下と敬宮殿下は、国民の意識に沿ってくださるから、国民の意識がもっと高まるといいわけです。)

 

残念なことに、まだまだ表面的なことを重視している意識層があります。

競争意識満載で、自分さえ人より多く持てればいいという意識を持つものが、厄介なことに権力者層に多くいます。

 

思い返せば多くの日本国民の意識の変化のきっかけが、KKM問題でした。

🐎子さんの乱ですね。

そこから何か変だぞ、となった方が多いと思います。

私もその一人です。

その少し前から関心は深くなりつつあったのですが、あれは決定的でした。

 

ただ、集合意識ということで見ていくと、あれもそれまで関心を持って少数ながら頑張ってこられていた人たちが、集合意識を動かしたということでもあると思うんです。

その後徐々に増えて行き、今は敬宮さまの輝きに魅せられた方が多いと思われます。

そうやって変化していきます、

今を見ると、せっかく敬宮さまが外交デビューしたのに、取り返されてしまったかのように感じてちょっと絶望に近い感覚になっていますが、こうやって押し相撲みたいにして集合意識は変化していくようです。

 

去年の今頃、半年前の今頃を思えば、ずいぶんと大きく変化してきていますよね。

あちらにしてみれば、前回のケニア大統領夫妻の午餐会で、自分が欠席したために敬宮さまの活躍のチャンスを与えてしまった、ある意味痛恨のミスと思っているのかどうか…。

そうしてそれを挽回しようとして欲張って、空港お迎えまで買って出てしまって、さぁ大変滝汗びっくり

 

本来は自分の50億円かけた超豪華なお屋敷で、午餐会なりお茶会なりをしなければならないところ、(その場所はお金をかけて設けているであろうに)それができる力がないために、両陛下が開催してくださる場にちゃっかりと、そして大威張りで、そのお家の御嬢様の椅子を奪ってまで出るという図々しさ。

 

そういう義務は果たさないけど権利はもらう、という主義に対して、神様がいい顔をするわけがないです。

陛下が優しくものの道理を伝えていても、まったく意に介さず変化なしなので、これがもう自滅する道を選んだということになるのでしょう。

 

本来その席には敬宮殿下が座るはずだったところに、その中身の伴わない者たちが奪って座る。

このことに何のお咎めもないはずはありません。