23日に、篠原さんの奥様、由佳さんが配信されたこちら

中々の神回でした。

 


もうご覧になられたでしょうが、文字にして残しておくべき重要なことだと思いましたので、聞き直しをしまして内容を紹介させていただきます。

 

 

1993年 平成5年 7月12日に、北海道南西沖地震 マグニチュード7.8

の際に、当時の天皇皇后両陛下が被災地に訪問された時の、ミテコさまのお召し物に関してのことになります。

被害は、死者行方不明230名、怪我をした人323名、家屋倒壊601件と甚大なものでした。

 

1993年といえば、その年の9月にフルムーン旅行…
その6月に当時の皇太子殿下と雅子妃殿下がご結婚されていて、恐らくそのヨーロッパの国々は皇太子ご夫妻をお呼びしていたものと思われます。
 
それで、長男夫妻の新婚旅行の招待を奪って行く旅行のために、ミテコ様の衣装製作を一手に引き受けていた大御所先生のアトリエは大忙しでした。
そこに、被災地訪問のためのお衣装を新調するようにと言う依頼が入り、大パニックになったそうです。
(内容の出どころは、大御所先生のアトリエに当時勤めていたうみちゃんです)
 
こちらが地震発生から被災地訪問決定までの週刊新潮の記事を抜粋したもの。

 

 

当時アトリエは、ヨーロッパフルムーン旅行に向けての大量の衣装…総予算数千万円をかけての衣装の制作で大わらわだったのに、そこに急に被災地訪問のための衣装新調の依頼が入ったのでさらに大変なことに。

なにせ2週間しかなかったのですから。

 

こちらがその依頼から納品までの流れです。

ちょっと画面からのスクショなのですが、下の方が載っていません。
 
 
頭の中でイメージを作るミテコさま
大御所先生とデザインを決定する
仮縫い
中縫い
本縫い
納品
と言う流れだそうです。
この時は前日に納品されたようです。

それで、他のミテコ専属デザイナー皆さん共通して言っているのが
訪問先の土地柄や目的に合わせて、色やデザインや素材を吟味して選ぶという、細やかな配慮をするのだそうです。
 
まず、ミテコ様がイメージでデザインを考え、大御所先生が決定する、それをお針子さんが型紙にするという流れなので、ミテコさんのデザインが遅れると全工程が遅れるので、それは大変なことになるそうです。
そして、何と予備の服を2~3着用意するそうです。
 
予備の服ってなんなんでしょうね。
同じデザインのものでしょうね。
それってなんのために?
万が一汚れるとか、何かあった時のためでしょうか。
噂ですが、顔がよく似ている女官がいて、その人に時々自分の代わりをさせると言われていて、その時のためなのでしょうか。(単に私の妄想)
そしたら予備は1着でいいですよね。
一度しか着ない服に同じデザインのものを3~4着…税金で…ガーン
 
大御所先生のアトリエは決して大きな規模のものではなく、10数人程度だったそうです。
そこに、ブラウス、スカートに各1名のベテランお針子さんが担当し、ヘルプを1~2人付ける、予備の服にもう一人とヘルプさん。
休日出勤は当たり前、と言うことは休みなし。
 
それで出来上がったお衣装を着て奥尻島に降り立ったお姿がこちら。
スマホの画面からスクショして切り取っているので、ぼやけていますm(__)m
 
 
このお衣装を着て、白のクラッチバッグを持ち、赤い口紅を引き、キラキラ光るお洒落なチェーンベルト、白いパンプスを履いています。
そのいで立ちで、津波で家族全員を亡くした方々の前にお出になりました。
 
画像アップします。
 
 
胸のところが大きく開いています滝汗
58歳だそうですが、老けていますよね。
65歳くらいに見えますね、もっとかな。
そうか、皿帽子をこの時はまだ被っていないからかもしれませんね。
 
そしてこちら
 
 
どうです?震災からまだ15日しかたっていない、悲しみに暮れる被災者の前に、大きく胸の開いた白いブラウスの皇后さま…なんかちょっとう~~ん。
これが土地柄と目的にあったお召し物ですか…。
 
このスカート部分をアップ。
 
 
この緑色で着色した部分はウエスト部分ですが(本当は同じ色です)
何枚も型紙をとって、ミテコ様の体にぴったり合うように作ったものだそうです。
ものすごーーく手間がかかっているということ。
ギャザーとかタックとかは生地が歪むのでできないのだとか。
 
↑の写真の右下のイラストは、カピ子さんが描かれたものです。
これだとデザインがよくわかりますね。
胸が深く開いています。
そして、ポケットの蓋みたいなもの、フラップと言うそうですが、それをつけているのが特徴です。
 
それで、この白ブラウスには意味があるのだそうです。
それがなんとも驚き呆れるのですがね。
 
ミテコ様は今までずっと至高のものを求めて、改良に改良を重ねて作って来たのですって。
だから同じような白いブラウスがたくさんあるのだそうです。
どれもが似たり寄ったり、襟の先が尖っているものとほんの少しだけ丸くなっているものなど。
 
それと、奥尻の時の胸が大きく開いた白ブラウスの生地は、ジャージなんだそうです。
↓のミテコ様49歳の銀婚式の時にお召しになった、似たような白いブラウスの生地はジョーゼット。
 
 
うん、これは袖の手首のところに特徴がありますね。
他にも、お針子のうみちゃんが、もっと専門的なことを教えてくださったものを、由佳さんが説明してくれていましたが、割愛します。
素人にはよくわかりません。
 
そしてこちら、55歳軽井沢にて。
 
 
ベルトが紫じゃないですか。
これ持っている花束の色と同じですけど、これは前もって紫の花を持つと決めてベルトの色をこれにしているということだそうです。
つまり、花束は仕込みです。
しかしこれも似たようなものですね。
よくもまぁ、国民の血税で似たような白のブラウス何枚も(何百枚も?)作りましたね。
 
由佳さんが、これを持っているんなら、これを奥尻に着て行けばいいのに、と言っていました。
本当にそうですよ。
奥尻ではもっと派手なゴールドのチェーンベルトをしていますけど。
 
そしてこちら!
 
 
ミニスカートの白ブラウスのテニスウエアです。
1990年55歳。
写真ではスカート部分は切れていますが、ミニスカートです。
スカートの下には55歳の皇后陛下の健康的なおみ足がドドーンと。
これは胸が大きく開いていますね。
これも奥尻のブラウスの変形型なのだそうです。
 
私はなんだかよくわからなくなってきました。
もう嫌って感じですが、でももう少し頑張ります。
 
こちらは49歳軽井沢プリンスホテルにて。
 
 
これもまた似たようなブラウスですね。
奥尻のによく似ていて、テニスウエアにも似ているけれど、これは着回しではなく新たに作ったもの、とうみちゃんの解説。
 
半袖の袖口部分に特徴がありますね。
え?これもわざわざうみちゃんたちに作らせているんですか?
こんなの既製品でいいじゃないですか。
 
由佳さん…若い時の方が胸元が閉じている、年をとってからの方が開けている笑。
 
それでそれで、白いブラウスの拘りはここから来ているのではないか、とのこと。
ご存じ有名な「軽井沢のテニスコートの恋」
 
 
人生で一番輝いていた時。
この時のことがよほどうれしく忘れられないのでしょう。
開襟の白ブラウス着ていますね。
 
ここから35年かけて、大御所先生とお針子さんたちをこき使って、あーでもないこーでもないと改良し、何枚も何枚も同じような白いブラウスを作らせてきて、至高のブラウスの完成を目指してきたのです。
 
自分か旦那さんの稼いだお金でならいいですけど、それ全部国民の納めた税金ですから。
 
なぜ奥尻島にこの白いブラウスを着て行ったのか、を由佳さんは最後に言っていて
それはお針子のうみちゃんの想像だそうですが
フラップと言うポケットの蓋が気になったそうで、それはスポーティでカジュアルなイメージだから、役所の人たちが来ている作業着に似ているから合わせたつもりなのでは、と。
一体感があるのでそれを演出したのでは、とのこと。
でも、平民とは区別するためにベルトで差をつけた?
 
あと、似たようなブラウスを着ることで、着回ししていると思わせる目的なのではないかとのこと。
震災だから注目もされるしね。
ちなみにミテコ様のフラップはポケットはナシのフラップだけのもの。
ポケットがあるからフラップなのに、見せかけだけ。
 
まぁしょせんこの程度の考えなんでしょうね。
土地柄目的…カジュアル&スポーティに、平民現地役所の係の者が着る作業着に似せる、でも自分は皇后だから金のチェーンベルトで差をつける。
白いバッグとパンプスで優雅に。
 
ちなみに、奥尻で着た服は、たくさんあるミテコ本にはほとんど取り上げられていないのだそうです。
ミテコ様の中では黒歴史になっているのでしょうか、とのことです。
評判が悪かったのでしょうかね。
その後から被災地に行く際の服は、また特別なデザインを考えたのでしょうかね。
 
あと、皇室デザイナーの中村信夫氏のお話もありました。
み ち こ さまは出来上がったシルエットを納得の行くまで大切にされた。
あるいは襟を、あるいは丈を、また袖やポケットで変化もされて、大変上手にお召しになっていました。
ある時など、「このシルエットは完成しましたね」と姿見に向かって喜んでいたりもしました。
 
ひゃ~~~ガーン滝汗びっくり
これ、自愛、自己愛、ナルシスト?
理解できない、私には無理だわ。
 
最後にうみちゃんからのメッセージ
この奥尻の時、お針子の同僚のご家族が被災していて、その方は確かスカートの担当で、すぐに駆け付けたかったけれど、この衣装製作があり、じっと我慢してプロに徹して頑張ってやっていたそうです。
本当は、ミテコ様の乗るヘリコプター?に載せてもらいたいほどだったのでは?と。
 
なんとも…国民は奴隷なんですかね、ミテコさま?
 
最後と言ったけど、もう二つ。
ミテコ様の信者だった、今は亡き渡辺みどりさんの言葉。
 
ファッションは人柄を表す。
特に中年以降の女性は、円満な性格が着こなしに反映される。
病んだ心ではエレガントな装いはできない。
 
う~~ん…これはどういう意味なのでしょう。
本気で言っているのか、それとも長年の付き合いで本質に気づき、本音を言ってみたとか?
エレガントな装いは、雅子皇后陛下のことですよね。
 
そうですか、病んでいるから奇天烈な服装を好み、中でもただの白いブラウスにこだわりを持つのですね。
何度も何度も改良をして至高の一枚にたどり着くという、その異常な感性と性格は、もう何と言い表したらよいかわかりません。
似たようなものを数枚買って、もしくは100歩譲って制作してもいいけど、それを一年とか着回ししてある程度着て、それから新しく買うか作る、それが普通です。
テニスウエアなんてそこら辺にいくらでも売っているでしょうに!
 
最後の最後にこちら。
 
 
これ、本当は東日本大震災の時の映像なんだそうです。
でも、奥尻の表紙に使った、と由佳さんが言っていました。
つまりどういうことかと言うと、東日本大震災の時に瓦礫と一緒に流れてきたミテコ本なんだそうです。
この本が津波で流され、がれきと一緒に流れ着いてきたということ。
しかしすごいですよね、よくこんな写真が出回りましたね。
 
以上になります。
感想などありましたらコメントください。
皆さんで味わい尽くしましょう。