当時はよくわからなかったことですが、今になると深く深く納得することがあります。

陛下のお妃さま選びは完璧だったなと。

あの当時は陛下についてまったく何も理解できていなかった。

今もまだまだそうかもしれません。

 

なぜ理解できないかと言うと、それは当然自分の精神レベルがそれを理解するのに全然足りなかったから。

いかに見かけだけ、表向きだけを見ていたか…。

 

でも、心に誓って、一度も批判的に思ったことはありません。

ひどいバッシングの時には、そんなことないでしょう、変な状況になっているなとは思いましたが、自分から積極的に庇うまでは行かなかったです。

 

気づけるチャンスだったと思うのは、敬宮さまが学習院で悪ガキにいじめられていた時。

あれ、変だなぁ、と思ったんですよね。

だって、皇族の方ですよ、それも将来の天皇陛下のお子様、皇女様なのに。

学習院が全力で庇い阻止しないのはおかしいし、美智子さま、どうしたのよ?と思いました。

美容院で女性週刊誌を読むことで、皇室のニュースを知ったのですが、思い返してもあの時は異常でした。

 

それから、もっと前の頃、昭和から平成になり、天皇陛下が地方に行幸される際、昭和では天皇陛下だけで、皇后さまはほとんどお出ましにはなられませんでした。

皇后さまのお姿をテレビで拝見できるのは年に数回程度だった、と記憶しています。

その時は、あら!皇后さまだわ!!って思ったのを覚えています。

 

そのくらいだったのに、平成になったら、天皇陛下の横にはいつもぴったりと皇后さまがいる。

最初は違和感がありました。

へぇ~~って。

なんでいつも一緒に行くんだろう…と思いましたね。

それが新しい皇室なんだ、みたいな報道だったかもしれません。

それに納得させられて慣れて行ったように思います。

 

昭和の皇后さまは御所にいらして皇后としてすべきことをなさっていたのだと思います。

子育てにもしっかりと人任せになさらず、向き合っていらっしゃったと思われます。

お子様方が例え大きくなられても、支えてあげる事柄は沢山あります。

今回の敬宮さまの外交デビューに関しても、雅子皇后陛下は沢山御心を配ってくださったのだと思います。

 

平成の皇后さまは、自分をどう見せるかとか、私も夫と一緒にどこにもついていき、国内外に私の存在をアピールしたい、(何なら夫を超えて私が女帝よ!とアピールしたい)とか…

家にいて家族のために何かを考えてあげることなんかやっていられない、私は私の楽しみ喜びのために生きるのよ!みたいな感じだったのでしょう。

 

陛下には昭和天皇の慈しみと、ご養育係の方の献身的なお支えがあったし、陛下自身がご優秀で真面目に努力なさる方だったので、今ご立派な天皇陛下になられましたが、次男ですよね…甘やかしのほったらかしの末のアレ。

自分があれだけ地方や海外に行きまくっていたら、人任せにしているだけではどうにもならなかったでしょう。

長女さまはネグレクトだったし。

当時多くの国民…主に女性は変だと思っていましたよ。

私だって変だと思いましたもん。

あの厚いレンズの眼鏡とか、地味なお洋服など、違和感ばかり。

 

敬宮さまはお小さい時から良質の御嬢様のお召しになる可愛らしいワンピースを、よくお召しになっていました。

なんでしょう、当時はさほど思わなかったのですが、今になるとさすがは雅子さまだ、と思いました。

平成の皇女、さーやさまと、🍁家の姉妹の幼少時から現在までの、お召し物一つとっても当時の違和感の訳が分かったような気がします。

 

母親の心配りの問題ですよね。

庶民の私たちでさえ、娘が生まれたら(息子もある程度はそうですけど)自分のは構わなくても、娘には可愛いのを着せたいと思います。

でも、あのお二人のお妃様たちは違った。

まだ👹さんは🥗👵さんよりは少しだけマシかな。

(でもそれも百貨店から見本として受け取ったものを着倒して、催促されてからボロボロになったものを返すとか)

🥗👵さんはわざと可愛くならないように貶めているように見えますもの。

 

お2人とも、子育てやっていないですよね。

職員に任せていたと思います。

少し前まではそんなものかなと思っていましたが、雅子皇后陛下のなさりようと言いますか、先日の敬宮さまの外交デビューを拝見して、言い方は適当じゃないですが、その仕上がり具合からぜーんぜん違う、と思いました。

もちろんお子様ご本人の資質の問題もあると思いますよ。

🐎さんと🦌さんって、お釣りの計算ができないとか、九九もできなかったとか漏れ伝わっていますし。

 

どこかで見たお話ですけど

久子さまが以前こんな風におっしゃっていたそうです。

「妃殿下の一番の役目は、子どもを皇族として育てること」

 

ですよね!

部外者ですけど、ガーーンという感じで心に響きました。

 

あんな風に毎回新しい服を誂えて、手を振りに出かけていくために嫁に来たんじゃないはず。

 

久子さまは3人の女王様方を、皇族として大変ご立派にお育てくださいました。

子育ての間、もちろんご公務もあったでしょう。

でも、あのお二人ほど過剰ではなく、心の中にお子さまのことが一番あったのではないでしょうか。

忙しい間も決して忘れなかった。

人任せにせず、留守をするときはちゃんと職員に指示していたのではないでしょうか。

例えば習い事や学業など、今日は〇〇があって先生がいらっしゃるから、その前におさらいさせておいてねとか。

宿題を終えてから遊ばせてね、とか。

庶民の私たちがやっていたようなことの、もっとハイレベルな感じ?

 

そういうこともあのお二人は頭にないというか、🥗👵の場合はまるっきり丸投げで👹さんは自分の立身出世のための道具としては子供のことを考えるけど、皇族としてという育て方は全く眼中にないというか、人としても満足に教えていなかった、教えられなかったのだと思います。

 

ということは、それぞれの夫もまた、皇族として、お一方は天皇になる方だったわけで、未来の皇后となる人としてのお妃選びはしなかったと思われます。

自分の喜びのため。

次男も同じ。

 

自分たちが天皇家になりたいという野望を持つのなら、せめてのちの天皇となる子をそれにふさわしく育てて、その上で天皇になりたいと言うべきです。

今の🍁家は無責任です。

 

今上陛下は大変ご立派です。

もう奇跡の御方です。

あの両親からよく…こんなに立派な方がお生まれになったものです。

 

雅子さまをお妃さまに選んでくださったこと、大変ありがたく思います。

 

雅子皇后陛下の30年間は、陛下を立派な天皇陛下になるために内助の功で尽くしてくださったことと、将来の天皇陛下になられる唯一の皇女さまを、大変ご立派にお育てになったということ。

 

確かにもっと海外に行かれるべきだったとは思いますが、それさえもう少し改善されていたらよかったですし、大変有能な方の才能を生かせなかったことはもったいないですが、それを陛下と敬宮さまのためにお使いくださいました。

 

ありがたいことだな、とここ最近しみじみと思っています。

 

またまた変な例えですが、長かった基礎工事は終わりました。

これからは無敵の天皇家として、令和の皇室が始まります。

それにそぐわない、足を引っ張る…自分らが取って代わろうなどと言う不届き者は排除されます。

 

敬宮さまが成人され、更に大学を卒業するまでは基礎工事に徹し、じっと堪えられていたような気がします。

 

あとは、政治家とマスコミとおかしなことを言っている学者もどきの精神レベルが追い付くことですかね。

無理な方はそれこそ排除される流れのように思います。

 

表面チャラチャラの皇族は、皇族じゃないんですよ。