昨日のぼったま論文発表に関して、Xでも大きな話題になっています。
衝撃的なことなんですね。
それで、これは、ギフト・オーサーシップと言うそうです。
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ギフト・オーサーシップは、創作の知的作業に貢献していない人物を著者に加えること。
学術においては研究不正の一種。
オーサーシップの共通理解が進んでいないこともあり、学術の世界では蔓延していると言われる。
大学教員の選考基準や昇任基準に論文の本数が採用されているため、重大な不正である。
ギフトオーサーシップを受け入れることで不正論文の共著者になる危険性もある。
年長者を優先するような文化圏では、ギフトオーサーシップを行って良いとしてしまう風潮があると言われる。
と、wikiに書かれています。
また文科省のHPに公開されている不適切なオーサーシップの事例について、大体このようなものがあるとしています。
①論文作成に全くかかわっていない研究メンバーを著者に加えた
②研究に全く関与していない他者を著者に加えた
③研究を実質的に行い本来著者となるべき者が著者から外れていた
①と②は当てはまっていますね。
③はこの他に携わっていた人がいるけど、名前が載っていないということはあり得ます。
いくつかのサイトを読んでみましたが、この文章がもしかしたらこのケースに当てはまるかなと思いました。
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研究の意義を評価する際にも、その研究を行った研究者との接触を図れない場合、研究内容は無意味なものなってしまいます。ピアレビューの目的は著者が誰なのかを確認し、その研究が既存の知識に対してどのような解釈を提供しているか理解し、未来の研究への道を拓くところにあります。
オーサーシップガイドラインの目的はその研究に対する責任の所在の明示にあります。
ともあるので、素人ながら思ったのは
もし、この論文に関して質問や追加して加えたい情報がある場合、ファーストオーサー(この場合最初に名前が書いてあるぼったま)に連絡をすることになります。
でも、連絡してもチンプンカンプンだったら、この論文自体無効になりませんか?
どっちにしても…なのですが。
しかしこれは大変乱暴なことなのではないでしょうか。
まったくの素人でもこれは大変なことをしたものだ、と思います。
傍若無人な振る舞いです。
これが皇族だと言うんですから、恐ろしいです。
倫理観など全くないですし、良心の呵責などと言う言葉も辞書にないでしょう。
この首謀者は👹さんだと思うのですが、それを皇室に入れた🍁さんの責任は重いし、その🍁さんを皇室に入れた?生み出した?お皿さんの罪は重大です。
先日の🍁さんのお誕生日会見に関しての雑誌記事が出ましたが、私には生ぬるいものだと思いました。
デイリー新潮の記事です。
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宮内庁内ではあまり評判がよくなかった
「個人的には、“ぐずぐず”という言葉を用いられたことに驚きました。宮内庁内でも同様の反応がありましたね。ただ単に驚きというだけではなく、戸惑いというか抵抗感が感じられる反応でした。“丁寧に説明されようとするスタンスは大事だが、なかなか中身が入ってこなくて、結局ぐずぐずという言葉だけが耳に残ってしまった”とか、“もう少し簡潔な答え方でも良かったのではないか。結果的に判断ミスで遅くなったのは良くなかった程度のことなのだから……”などといった声ですね。“国民の記憶からは良い意味で今回の問題がフェードアウトしてきているように感じていたのに、また蒸し返されかねない”という指摘もありましたが」
なんじゃこりゃ、です。
結局、971職員による虚しい擁護、といったところでしょうか。
こんな風に中途半端に生かし甘やかしているから、どんどん腐敗が進んでいってしまうんです。
私よりも的確にコメントしているヤフコメを!
★発表のタイミングが遅れたのは、自分らがイタリア産の大理石や金箔の多用を申し入れたから予算が凄く超過したという事実を報道で暴かれて、その説明のロジックを考え出すのに時間がかかったからだと思いますね。担当庁の辻褄の合わない再三の説明のやり直しがそれを物語っていると感じる。いずれにせよそれらの経緯の説明についてもまるで担当庁が主導したかのような回答は事実と異なり誤解を招くものだと思う。責任転嫁ならよろしくないと思う。このようなやり方は人々との信頼を損なうもので、この家が次代という前提に疑問を投げかけるものだと考えます。この方々は自らが国民に寄り添うのではなく、国民の方こそ自分たちに寄り添って当然だと考えているとしか思えないのですが。
★国の象徴になろうという方が自ら「ぐずぐず」などと自らの行いを形容すること自体、心底嘆かわしいし、この国の将来に対して明るいイメージを持つことなどできない。万が一選挙で選ばれるようなことがあれば(実際はないのはわかっているが)、大多数の国民はNOを突きつけざるを得ないだろう。