昨日の篠原ご夫妻のゆるトークLIVEです。
夕方念のために、あるかな?とチェックしたら案内が出ていて、見逃さずに済みました。
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やっぱりA家のとミテコさまのは定期的に掘って教えていただきたいですね。
私たちの士気にも関係しますよ。
私なんか一気にやる気が出て来ますもん
闘争心が湧くようです
まずは、このデザイナーの先生とミテコさまの出会いのきっかけとなったのは
この先生が家庭画報という雑誌に毎月デザインを出していて、それを見たミテコ様がこの雑誌の編集部に連絡をして、その編集部がI先生に連絡して…ということなのだそうです。
それまでも錚々たる先生…芦田淳氏?とか、だったけれど、その後I先生が専属デザイナーになったとのこと。
私はこのことを聞いていて、当時(恐らく平成が始まる前ころ)皇族のそれも皇太子妃から依頼があれば、そりゃ普通は光栄に思うし断るなんてできないけど、でも受けなきゃよかったのに、逃げられなかったのかなとか思ってしまいました。
専属デザイナーをされていた時は、資金繰りに苦労されたそうだし、スタッフもやめていく人が多かったし、恐らく賃金も割に合わないものだったようですし。
前にもこのことは少し聞きましたが、やはり何が一番きつかったかって、一度作ったドレスのお直しだそうです。
何度も細かい注文が出るので、その度に解いて縫ってと繰り返すので、ミシン目も見えていたりでボロボロの状態になってしまうのだそうです。
そんなにして作り上げても、実際に着るとは限らないって…これは精神的にやられますね。
だから、お針子さんたちは自分たちが苦労して(させられて)作ったお衣装のどれを実際に着てくれるのか、それを楽しみにしてテレビを見ていたとのこと。
なんか、すごく哀れと言うと失礼ですけどね。
それで、時々そのデザイナーの先生がミテコ様に頼まれて、デパートにお洋服を買いに行かされて、それのお直しをさせられるのだそうです。
自分がデザインして作るだけでなくて、他の人が作って売っているのをデザイナーに買いに行かせるってすごいですけど、それを着るんじゃなくて直させてから着るってね~~すごいですわ、デザイナーのプライドずたずた。
でも、まだその方が楽なんだそうです。
既製服を一度解いて指示通りに作り直す、その方が一点物をデザインして作ったものを気に入らないって、あれこれ細かく注文して何度も何度も解いては縫いさせられるよりもマシだった。
これって、私の推測ですが、最初から注文出して作らせるのって、ミテコ様のイメージがひどく曖昧で、それはプロじゃないし仕方ないと思いますが、そもそもそのイメージっていうのがああいう奇天烈なものですから、そりゃぁプロのデザイナーさんでもイメージ通りには作れないんじゃないでしょうかね。
ガンダム戦士ですもんね、アレ。
ピンクの肩パット3枚?4枚…5枚…皿屋敷みたいな。
そもそも、一度しか着ない訳でしょう?
だから相当数のガンダム衣装を作らされたわけですよ。
そしたら、アイディアのタネも尽きますよ。
このI先生って舞台衣装を手掛けていた方みたいで、だからそれに惹かれたミテコ様が声を掛けたんでしょうかね。
ってことはですよ、アレは舞台衣装なわけですよ。
ゴコームに着ていかれる衣装ですが、舞台に立つという目的で作らせたってことなんでしょうかね。
公務=アテクシのワンマンショー=ステージ
あとLIVEで言われていたことは、あの皿帽子のことをお針子さんたちは
夕張と呼んでいたのだそうです
夕張といえば炭鉱、炭鉱といえばあの頭に着けるライト?ヘッドライト!
たしかに!似ているかも!
動画中で篠原さんが、ミテコ様のこの衣装へのこだわりの数々を聞いてあきれて、着道楽だねと言い、それを奥様が執着だと言い、さらに篠原さんは病的なものを感じるよね、と。
着ることに対してのこだわり、執念はすごいものがありますね。
もはや、く〇ってるとしか思えないです…。
他にもお針子さんのミテコ様の呼び方があって、みっちゃんとかお向かいの奥様と言っていたそうです。
お向かいのというのは、先生のアトリエが赤坂御所の近くにあったからだそうです。
この話をしてくれた元お針子さんはこの時はかなり若かったようで、皆さん大変苦労してミテコ様のご衣裳を作っていたそうですが、若いからだけに正直である意味冷めていたのかもしれません。
でも、年配の先輩方は尊敬していて、大御所先生は奉仕の精神で仕えていたとのこと。
お給料も遅れたけど皆さん頑張って来たとのこと。
なんか…デザイナーさんもお針子さんも国民ですからね、こんなに苦労させていたとは、まったく国民に寄り添っていないですよね。
皇室のトップの奥方様なのに、自分のやりたいように相手を翻弄させるというのはいかがなものでしょう。
動画を改めて聞き直して他にあったことは
夜中にも呼び出されるので他のお客様の注文にも応えられなかった。
お出かけの時には新着したものを一着持ち、お直しした服を数着を持っていく。
ものすごく苦労してお直ししたものでも、こうして予備として持っていくためのもので、必ずしも着るとは限らない。
などでした。
いや~だから、今と言ってもまだ平成が終わって4年しかたっていないけど、あのお洋服を今着ているのを見たら、すごいびっくりするでしょうね。
当時も驚いたけど、それこそ魔法がかかっていたというか、皇后さまに対して不信感など持っちゃいけないみたいなのがあったので、違和感を持たなかった…というか批判するなどみじんもなかったです。
だからそれだけ魔法が解けてきたってことなのでしょうね。
だからこそ、今私たちは当時のデザイナーさんとお針子さんたちの苦労を知って、もう一度平成のガンダム的衣装を見直すと、びっくりするというか呆れてしまうんですよね。
税金も相当使ったでしょうが、お針子さんたちが苦労した分の対価までは支払われていないような、私的使用人みたいに搾取されていたような気がします。
大御所先生はそれでも喜んで差し出して、満足して生き抜かれたようですが、なんだかアンバランスなような複雑な思いです。
平成ってなんだったんでしょうね。