神奈川の日吉と東京の練馬で学習塾を運営する会社を訪れた。
子どもの数がなだらかではあるが減っている影響もあり、首都圏以外では経営環境は厳しい。体力のない小さな学習塾はいかにして生き残るのか気になった。
訪れた教室の経営者に聞いてみるとこんな答えが返ってきた。『大手の塾はね、おっきな工場みたいなもんです。巨大な機械のように同じカリキュラムを全国どこでも受けられる。高品質というか。僕たちはそんなことをしたいわけじゃない。子どもにはそれぞれ能力がある。たまにできる子もいればできない子ももちろんいる。もちろんそれでいいと思ってる。中学受験って僕はあまり好きではないんです、実は。自分のやりたいようにやる。それが違いです』
彼は30後半から40代前後。独特のイントネーションは関西出身であることを物語っていた。
最近、中小企業の経営者に会う機会が増えた。一人狼のような方もいれば、型に収まりきらないエネルギーに満ち溢れた方もいる。
共通するのは個々に個性が強く、自分がやりたいことを実現しようとする野心を持っている。
経営は効率が大切だと僕は思っていたが、業種・サービスによっては必ずしも効率だけではないらしい。ときには非効率が社会のニーズを埋めることもある。
真昼間の生徒のいない小さな教室は静かだった。10数年ぶりに見た木の机は、僕の体にはあまりに小さかった。ただただ懐かしさだけが込み上げてきた。
夕方、外出先から会社がある渋谷のマークシティに戻ってきた。4階にはサンクスがあり、いつも社内に向かう前に夜食をこしらえるのが日課である。
お茶と甘いパンをおもむろに掴み、レジ前で考えごとをしていた。500円玉を出し、よく確認もせずにお釣りを受け取る。
変わらずにぼーっとエスカレーターを上がりオフィスに向かうと後ろから『おっ、お客さん!』と焦り声が聞こえてきた。見るとコンビニの店員さん。どうやら会計の際、お釣りの金額を間違えて渡したようだった。
素直に驚き、感心した。
若い店員だった。顔は少しあどけない。きっと大学生くらいだろう。『大変失礼しました』。緊張した面持ちで頭を下げている。間違えた金額は数十円。それでも彼は自分のミスにすぐに気づきレジから大急ぎで飛び出してきたのだろう。
彼の素直な行動に僕の気持ちはすっかり良くなった。
『ご丁寧にありがとうございます』と僕は礼を述べる。
安心した表情を浮かべた彼はすぐにエスカレーターをかけ降りる。
渋谷の街中でこんな場面に合うとは思ってもみなかった。はたからするとたいした出来事ではないかもしれない。それでも僕は他人のほんのささいな行動に嬉しさを感じたのだった。
お茶と甘いパンをおもむろに掴み、レジ前で考えごとをしていた。500円玉を出し、よく確認もせずにお釣りを受け取る。
変わらずにぼーっとエスカレーターを上がりオフィスに向かうと後ろから『おっ、お客さん!』と焦り声が聞こえてきた。見るとコンビニの店員さん。どうやら会計の際、お釣りの金額を間違えて渡したようだった。
素直に驚き、感心した。
若い店員だった。顔は少しあどけない。きっと大学生くらいだろう。『大変失礼しました』。緊張した面持ちで頭を下げている。間違えた金額は数十円。それでも彼は自分のミスにすぐに気づきレジから大急ぎで飛び出してきたのだろう。
彼の素直な行動に僕の気持ちはすっかり良くなった。
『ご丁寧にありがとうございます』と僕は礼を述べる。
安心した表情を浮かべた彼はすぐにエスカレーターをかけ降りる。
渋谷の街中でこんな場面に合うとは思ってもみなかった。はたからするとたいした出来事ではないかもしれない。それでも僕は他人のほんのささいな行動に嬉しさを感じたのだった。
日曜の朝は6時50分に無理矢理体を起こした。
7時からの朝の散歩に参加するためである。顔を洗い、歯だけ磨き、浴衣姿で部屋を出ようとする。『普通の服に着替えた方がいいですよ。平坦な道ではありませんから』。エレベーター前でアドバイスを受け急いで部屋に戻りジーンズとポロシャツに着替えた。
外に出ると空気がひんやりしていて肌がピリッとした。散歩は中沢ビレッジの宿泊者の中で希望する人のみ参加する。頭数を数えると70名前後はいた。子ども連れのファミリーや年配の方が多かった。先導は前述の六兵衛さん。登山用のズボンを履いている。六兵衛さんが参加者の多さにぼやいている。
歩くはベルツの森。
小高い丘に群生した木々が密集している。
ぞろぞろと数十人で歩く姿は中高生時代の林間学校を連想させた。
六兵衛さんが話しかける。
『皆さんいいですか。森の中を歩くときは、ヤッホーと大きな声を出しましょう。この森には野生の鹿がいます。驚いて近くには来ません。人によっては見たい方もいるでしょう。そういう方は出てこいという意味でヤッホーと言ってもいいですよ』。話し口調は至って冷静で一定なのに、やっぱり六兵衛さんの話し方はユーモアをふんだんに感じさせる。
試しに数名がヤッホーと声を上げる。恥ずかしがっていた人も次第に恐る恐る声を出す。予想以上に気持ちがいいようで、たちまちヤッホー、ヤッホーと連呼し始める。木々に反響し、軽くこだまする。都会から来ている人がほとんどである。普段僕たちはビジネス、私生活含めてお腹の底から大きな声を出す機会はめったにない。僕も回りがビックリするような声を出してみる。幹事役のヒューマンボイスの安藤社長に『いい声してるね』と誉められた。安藤さんは立教大学の応援団OBである。少し嬉しかった。
最初は舗装された道を通るも瞬く間に無くなり、道なき道を長蛇の列が進む。土の軟らかさが、足の裏から確かに伝わってくる。
どうやら五感が研ぎ澄まされているようだ。
30分ほど歩くと耳につんざく虫の声が上の方から聞こえてきた。都会にはほとんどいないエゾ春セミらしい。聞いたことのない蝉の声。ヨギー。ヨギー。
太陽の光がベルツの森に差し込めると泣き始めるようだ。歩きながら僕たちの体がゆっくり目覚めるのに合わせて彼らも朝を迎えている。
ハウチュアカエデ、白樺、さわらぬし。六兵衛さんの話は木々の解説から、森の楽しみ方まで機知に富んでいる。パワータッチ。木に触るとパワーをもらえること。
木にも温度があり、種類によって全然違うこと。二種類の木を同時に触るとはっきりと分かる。
山に慣れしたしむ人は木に話しかけることもあるらしい。そして返事をくれることも。直接心に届くらしい。僕にはにわかには信じられなかったが。
ウッドターンという遊びも教えてもらった。森の斜面を走りながらかけおりる。途中の木に数回手をかけ、目的と定めた木の幹をテコのようにクルッと掴み回転する。子どもが楽しそうに試している。僕もやってみた。スリル満点である。心踊った。
あっという間の1時間20分だった。時おり地方に遊びに行くことはあるが、本当の意味で五感をフル活用したのは久しく記憶にない。普段パソコンとにらめっこ。街中の無機質なビルと対峙しているだけでは決して味わえない体験を得た。
帰りのバスは多くの方が爆睡していた。充実した草津の旅を終え、日常生活に戻った。
