関東は梅雨入り前の最後の快晴の土日だったのかもしれない。上越自動車道はときおりなだらかな渋滞となっていた。草津へ着いたのは14時30分頃だった。
宿泊先は草津中心街から少し離れた中沢ホテルウ゛ィレッジという場所だった。国立公園ベルツの森と呼ばれる森林に囲まれている。
館内は少し古びたリゾートを連想させた。草津温泉の中でもここには『綿(わた)の湯』と呼ばれる源泉がある。名前の通りわたのように軟らかな湯というのが由来らしい。人の体がすっぽりと入る細長い深底の湯が4つほどある。部屋は少し強い硫黄の匂いに満ちていた。その一つに入ろうとすると湯のそばにたつ老婆に止められた。『まずはこの桶で湯を汲み、頭から30杯かぶるのです』。どうやら入浴前にかぶることで脳内の血行がよくなり脳卒中や脳溢血を予防するらしい。足を崩し、風呂横に座る。頭から勢いよく湯をかけられた。硫黄が眼に滲みた。悲痛な叫びをあげるも老婆はお構い無しにかけ続けた。『ほら、ご自身でどうぞ』。黙って数を心の中で数えながら頭にかぶった。湯の熱さは脳にもやがかったような錯覚をもよおす。
ようやく30杯まで到達し湯船につかる。男性が横に三人並ぶと隙間はほとんどない。軽く立ち膝の状態になった。眼前には砂時計がある。3分設定とのこと。湯圧がかかるから5分以上は心臓負担がかかるからまずいらしい。湯はトロリとするような感覚である。わたの湯。なるほど。温泉にも正しい入り方というのがあるのを初めて知った。
つかっていると全身から疲れがすぅーっと抜けていくような気がした。
老婆がしきりに『いかがでございますか』と周りの方に聞いている。目元がうっすらと笑っていた。
風呂前には照芽屋六兵衛という講談師の講談があった。題目は美智子様と綿の湯の秘話。草津は音楽祭が年に数度行われることでも有名である。音楽に造詣が深い皇后美智子様がある年に訪れた。警備には群馬中から県警2000名が私服で動員された。偶然にも美智子様の旧友が近くを訪れていた。60年来のことである。もちろん旧友はなんとか会えないかと画策するもむろん容易ではない。諦めかけていたが、会いたい想いが駆け巡り、様々な方の協力もありその日の夜には美智子様に会えたという話。美智子様は中沢ビレッジにいた。わたの湯は縁結びの湯として詠われているのにはこんな秘話があるからだ。
六兵衛さんは、正座をしたまま右手と左手を交互に巧みに使い分け講談をしていた。話し方のアクセント。ときにはユーモアの落ちありと30分はあっといい間に過ぎた。
夕食は和洋中のバイキング。
毎週土曜は鮪の解体ショーをやっているらしい。解体後すぐに中落ちやトロがお客さんに振る舞われた。僕はいの一番に皿にもられたトロをいただいた。普段の三倍の量は食べただろう。
宴会を前にしてココロもお腹も満たされていた。
