私が人を無責任だと思う理由 | lowのブログ

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日々の日記

愛、共同体での中での責任、相対的責任、または関係性その点で非難をしながら。私には個人的な進退のプレッシャーと個人的な責任、絶対的責任を求めている。しかも相対的責任をもたそうにも私には絶対的例えばうんこをするしない、屁をこくこかないという細かい点においても⚪︎×という責任。まして人と接点がない人間であるため細かな絶対的責任を相対的なものに変換できず苦しむ。

私の考えは伝わりやすいが反応全て周囲の人間が受けた被害として私には絶対的責任が求められる。中々相対されることがない。

なぜか全て被害で相対的責任を取らせようとしているのに愛や共同体として繋がりが薄い。対象としているためかもしれない。

なぜ共同体というものではなく、ただの個人に対するバッジっングでしかないのか?バッシッングの根拠が確かでもないものを理由としながら、自分の正当性だけで個人を扱う。本当に法治国家か?

私には個人的にやっていいことを見境もなくしている時点で人は自分に責任を持っているとは呼べないと判断できる。

私からすればどの人も変わらない。

話をちゃんと聞いてる人がいる、その点では考えることが許されていると安堵できる。

 

2024-04-29