人間関係が三人称の世界でいるか?二人称の世界でいるか?一人称の世界でいるか?
三人称の世界は他者同士の世界、会社や問屋や店などでの人付き合い。
二人称の世界、人間的なえげつないものから、豊かなものまで。
1人称の世界、一人の自分という世界。
私は今は落ち着いている。
三人称の世界だと思っていた、批判、暴言、えげつなさ、それら全部実は二人称の世界のことだったのか?
てっきり、社会的な要請役割で求められる、必要なことができていなくて晒される、投機されるものか?
ニュースなどに家庭で暮らしている方が好き放題言っているようなものだと思っていた。
そうか三人称の世界は大人の世界なのか?
私は二人称の世界がメインすぎてえげつなさや豊かなものまでを体験していたのか?
もう一つの意味、二人称では人のつながりがあると感じ、三人称ではつながりがなく晒される一人の的のような感じがしていた。
好きな人ができその人と、その人に何かいいことができないかと行動しているうちに、一人称、三人称の世界観で晒される誰かの的ということがなくなり、繋がりのある。他者と二人称の関係性ができることで救われていた。
この晒される、頭がわかりやすいは幼少期まで遡る。
幼少期うんこを漏らした時に、バケツに入れられ、体を洗っている時に写真を撮られよくこんなことがあったなと父親に面白がられていた経験を持つ。
小学一年生の頃、うんこを漏らしてしまい、頭に緊張感があり、悟られているのではと思う経験をする。
それから学校での授業など、問題の選択肢を選んでいる場合などでも考えがよまれて、私とは違う選択肢を選ばれたり気になることが多かった。
大学でも、他者の思考の中にいることが嫌で今でもそうある。
バカをやっているのも、人の何かでやられるのが嫌なのと、思考の境界線がないため気になったりするとそのままつこまれたり何かなったりするのを嫌がっっていたきらいがある。
そうか二人称の世界か?売り場で補充がままないところから、好き放題され、二人称である恋愛や人付き合いそのものが、三人称と思っていたやられたい放題の世界に投機されたからここまで迷惑がかかり、自分も傷つくと思っていたが、周りの方も二人称の世界観でやっていたんだな。そういったことを考え三人称とは気づかなかったが、他者同士の関係性上、丁寧にだとか、礼儀だとか。接客での丁寧さなどで、なんとか三人称の境界を差し込めたのかもしれない。独り言も二人称の世界を広げる悪い意味もあったかもしれない。ただ発言していたことが、人の社会で三人称の世界で良しとされるものかを問うものだったためよかっった良かったのかもしれない。
カウンセリングを学んでいて、戦後から続く非行行為もそんな二人称の世界で生じていくものだろうか?