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先天性欠損症の孤児を育てた養親の愛と励 
まし飽きなき挑戦、パラサイクリングだけ
でなく真冬バラリンピックの複数競技で8
つのメダルに輝いた。ウクライナに生まれ

パラ競技を戦う私の旅という記事です。
1989年、ウクライナのフメリニッキー州
で 生まれた時、両脚は腓骨が足りず、左
脚は右脚より約15センチ短かった。両手の

親指と腎臓の1つ、胃の一部と右の上腕二
頭筋も持ち合わせていなかった。9歳で左
脚を切断せざるを得ず、手術後はニューヨ

ーク州から引っ越した時にボートに出会い
、競技のとりこになった。母はいつも、私
ならできる、孤児時代の経験が私を強くし

たのだと励ましてくれた。自信を失いそう
になるたびに、彼女は、視野を広げてくれ
た。14歳の時に、所属する競技団体のディ
レクターが、パラリンピックを目標にしょ

うと言ってくれたことで2012年のロンドン
パラリンピックでダブルスカルで銅メダル
を獲得したが、翌年韓国で行われた世界ボ

ート選手権で背中を負傷し、ボート競技で
きない体になった。それから、クロスカン
トリースキーに挑戦し夢中になり、14年の

ソチパラリンピックでは2種目で銀.銅メダ
ルに輝いた。18年の平昌パラリンピックで
はスキー競技で2つの金メダルを獲得した。
表彰台の頂点で大勢の注目と歓声を浴びる

私がいた。ソチの後は、16年からパラサイ
クリングも始めた。東京大会の6カ月後に
行われる北京冬季パラリンピックはかなり

厳しく自分がどこまでいけるか賭けてみよ
うと飽きなき挑戦には先天性欠損症の孤児
を育てた養親の愛と励ましあった    
         おわり(2021.4月記事)





 *2021.4.20(火)*
チューリップピンク「何を成したか」で
人生の価値は決まるチューリップピンク  ~link癒~