原爆投下を肯定するのは…。
アメリカ共和党の上院議員が広島と長崎への原爆投下を引き合いに出して、イスラエルへの武器の供与を続けるよう主張したことについて、上川外務大臣は「到底受け入れられない」として議員側などに日本政府の立場を申し入れたことを明らかにしました。
※以下ページより一部引用
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240510/k10014445471000.html
広島観光の際、原爆資料館の説明にも
戦争を終わらせる為に原爆を投下したという旨の注釈があり、非常に印象的でした。
戦争なんて悲惨なものにも一応、法律と言うものはあって。そして、それらの戦争法は私たち日本人には適用されなかった。
(東京大空襲など軍事基地ではなく民間人を標的にした空襲は戦争法違反。)
(都市部にしかも二発も原爆を落とすなんてもっての外です)
何故、日本に原爆が落とされたのか?
表向きの歴史は誰によって書き換えられたのか?
それについては数々の有識者が発信されています。
今日は言霊学について発信されているKOUJIさんのYouTubeチャンネルをご紹介します。
https://youtu.be/PBFBH_deMJQ?si=1C1zfaJ49uDxxxL8
広島という土地には未だ癒えぬ悲しみがあって
けれど、それらを包み込む神々の祝福と、焼け野原から立ち上がった当時の人々の燃える様な熱いエネルギーが共存する不思議な土地でした。
たくさんの人々が無惨にも死んでいったのです
放射線によってその後の人生を狂わされたたくさんの人々の無念があったのです
たくさんの無念が
たくさんの祈りが
たくさんの命が散り
たくさんの命が育まれた
たくさんの想いが重なるこの土地
それを、壊した側が肯定すると言うのですか?
過去から学ばぬ人間、反省できない人間の如何に愚かな事か。
そして、原爆を落とす側じゃなくて良かった。
そう溢した友人の言葉に深い同調を覚えます。
こんな気持ち、きっと日本人を猿としか思わぬ人々には伝わらないのでしょう。
それは実際に戦争を経験していない私のなんともお綺麗な絵空事かも知れません。
けれど、私はこの平和な時代、日本人として生まれた意味を如何なる時も追い求め続けたい。
殺し合う誰かがいたら、止めるのが道徳です。
片一方に肩入れしたり、もっとやれと囃し立てるのは最低な行いです。
(ロシア、ウクライナ然り)
(イスラエル、ハマス然り)
それを私たち日本人が見失ってはいけない!!
そして、いい加減に表向きの作られた、書き換えられた歴史をただ受動的に信じるのではなく
より良い未来を作るためにも正しく過去を知り、今現在、自分に何ができるか?模索する必要があると感じました。