ガンジス川で生と死について考える | 工藤 花愛の恋する短歌の作り方

工藤 花愛の恋する短歌の作り方

ボンテージとインドをこよなく愛すちょっと過激な恋愛短歌人です

敬虔なヒンドゥー教徒の朝はとても早い



日の出とともにガンジス川で沐浴し、お寺でお参りをしてから朝食を食べる



私たちは朝4時に起きてガンジス川まで沐浴を観にいった



昨夜の雨で川の水位が増し、もしかしたら舟が出せないかもしれないという危惧があったが、行ってみないと分からないとのことだった



ガート(沐浴場)までの長い道の両脇にはたくさんの店や露店商が並んでいて夜は大変な賑わいだが
朝はどこも開いていなかった



途中のチャイ屋でチャイ(一杯5ルピー、10円)を飲んで一休みしていると、いきなり後ろから鞭で打たれたような衝撃を背中に受けた




『インドまで来てSMか?!』




と驚きながら振り返ると巨大な牛の群れがしっぽをぴしぴし振り回して人間たちを蹴散らしていくところだった



インドは人間と動物たちが共存している国である


牛、山羊、豚、犬、猿…リスもそこら中を走り回っている
(なぜか猫は一匹も見ない)



『牛耳る』という言葉があるが、この国では牛が我が物顔でやりたい放題だ



牛は聖なる存在であり、殺生も食べることも禁じられているので誰も手が出せない


デリーで牛は見かけなかったが、ここヴァラナシは聖牛たちの王国



ところかまわず牛がいて、車は牛をよけて道路を走る

道路の真ん中に寝そべった牛のために渋滞が起きることもしょっちゅうだった



インドに来てから日本ではとてもありえない場面に遭遇し
驚き衝撃ショックの連続でもうたいていのことでは驚かない



チャイ屋のすぐ脇では男性が用を足していた



この国では立ち○も野○も日常的過ぎて、もういちいち驚かない



チャイを入れる土の器はそのまま地面に打ち捨てられていた



ほっておけばまた土に還るから、だそうだ



泥なのか牛の糞なのか、もはや分からないぬかるんだ泥道を歩いて
やっとガンジス川に着いた


急な石段が下へ下へと川まで続いている
これが沐浴場(ガート)である



川の水は茶色く濁色し、水かさがかなり増えていた



さすがに雨の中沐浴する人は少なく、人影はまばらだった




ガンジス川は絶対的に聖なる川で、世界中からこの川を目指してヒンドゥー教徒がやって来る



川の水で体を洗い、口をすすげば現世の罪や汚れを洗い流すことができる



さらにこの地で死に、ここで灰を燃やされてガンジス川に流されることが、彼らにとっては至上の願いであり幸せなのだそうだ



舟は無事出航出来るようで私たちは傘を差しながら舟に乗り、濡れた船縁に腰を下ろした



私のすぐ後ろで舵をとっているのはまだ13~14才くらいの男の子だった



振り返ると憂いを含んだ大人びた表情で見つめて来る


インドの子供たちの瞳はビックリするくらい深いまなざしをしていて
魂を射抜かれる気持ちになる



舟が岸を離れてゆっくりと動き出した