しつこいけど、ごめん、

三つ目の『私なんか』です。

 

子ども達が幼い頃、私は友人に吐露した。

私なんかなーんも出来てへんのに、親やからゆーて、子ども達にエラソーなことはよぉ言わんワ…


そしたらその友人が言わはった。

そんなコト言うてたら自分を超える人にならへんデ。

同じような人生、歩んで欲しいか?

「NO!」

ほな、言わな。 


私は、私みたいにならんように育てた。

(前にも書いたかな?この話)


親が自己評価が低いまま、子育てしたら、

子どもかて、

そんな情け無い親に育てられて

自信持って生きていけるワケない。と思う。

自己評価が低いのは親本人の問題で、

子ども達にまで背負わせることないやん?

 

私は、親の問題をいろいろ受け継いだからさ。

もう懲り懲りやったのよ。

子ども達に変なモンを継承させたくなかった。絶対。

 

世の中にはいろんな尺度があって、

閉鎖的な場所では尺度が極端に少ないけれど、

世の中は広くて、

こっちでは通用しーひんコトでも、

あっちでは評価されることかてある。

意外なことでも評価されたりする。

 

実際、尺度なんていっぱいある。

神戸から田舎へ引っ越した時の違和感。

窮屈な不自由さを当前として生活している人達に驚いた。

また窮屈な不自由さのメリットも。

父から聞く海外あちこちの意外過ぎる話。

京都に独り住んで感じたこと。

星の綺麗な山中に住んで気付いたこと。

関西地域だけでも、こんなに世界が違う…って、

尺度の多様性は身をもって知ってたから、

子ども達には柔軟に対応できる人になってほしかった。

モンゴルの砂漠でも、ロンドンでもパリでも。

もちろん、フィンランドでもTOKYOでもドイツでも。

 

周りの親とはかなり違ったから、

子ども達は少々戸惑ったかもしれんけど、

今は、皆んな大人になって、

よぉよぉ分かってくれてると思う。

私は、遺伝子の意思に逆らって

自分のコピーを作ろうとは思わなかったんだよね。

善哉善哉 飛び出すハートキラキラ