昨日のつづき

長岡からお見えになったヤダ様の友人。

地震後のことを話してくれた。


それまでは、「棚一つ付けるだけでもいいからなんか仕事をやらせてくれ」と言ってきていた工務店が、一転 壁のひび割れ程度の仕事では見積もり一つ置いて行かないそうで。(100万円以下の仕事はやりたくないんだとか)

今は、雪降っていて仕事も入らないからまだいいけれど、雪が解けて仕事が多く入るようになると、もっとひどくなるだろう。

こんな話を聞いた。 地震後仕事が沢山で大変なのは判るが、そのうちその仕事が無くなった後を考えると、たいした仕事にならないところもむげにできないはずなのになぁ、そんなことも考えられないほど忙しいのだろうか。
昨日、ヤダ様の所に友人が訪れた。いつもの中学からの友達だ。

お一人は、先日病院にも来てくれた”テンちゃん"で、もう一人は長岡から用事で上京しついでにと寄ってくれた方だ。

テンちゃんの顔は見た途端。「おお○○」と本名を呼び、もう一人の方の顔を見て(誰だったっけ?)という顔をした。

くる途中の列車で書いたという手紙の封筒を見せ(そこに名前がフルネームで書いてあった)、「判るか?」と聞かれると「うん新潟からか?」とすぐ答えた。

すごいなぁちゃんと覚えてた。そこまでは良かったのだが、

帰られた後、自力で名前を思い出さなかった為「新潟から来たのはなんつーんだったけ」とどうしても名前が出てこないようで、時間を掛けても本人に思い出させたほうが良かったかと思った。 きっと今でも名前は出てきてないだろう。

その後、テンちゃんからのMailで

> ビックリし安心しました。又一方左手の硬直、痛い、痛いの連発に驚き

とあり、私達家族は今回はヤダ様がさほど痛い・痛いと連発せずに良かったと思っていたのですが、やはり初めて来られる方とかには連発しているとなるのか…。慣れって怖いなぁとつくづく感じました。

つづく(明日は長岡のお話)
最近ヤダロウさんが妙な名前を呼ぶ。

まや~」?

まや助けて」「まやこれやって」??


私の本名は「まきこ」と言い幼いころから両親には「まこ・まぁ」と呼ばれてきた。ところが私のほうを向き「まや」と呼んでいる。

それまでは「まこ」の5段活用で「まか」「まこふ(ロシア人か?)」「まき」「まさ」「まこ」と色々呼んでいたが、ここへ来て「まや」で落ち着いたらしい。

一度ヤダ様の部屋に入ったとたんに私を見て「ばーさん」と言ったことがある。それだけはやめてくれと懇願したところ、それ以降「ばーさん」だけは呼ばなくなった。

この期に及んで改名させられてしまうのか?
退院して以来ヤダロウさんとの会話に苦しんでいる。

薬飲んだの?「うんうん」
薬まだ飲んでないの?「うんうん」
どっち?「うんうん」

話にならない。 結局口をあけさせ薬の有無を確認することになる…。

何か頭の中には浮かんでいるらしく「あれなんだったっけ?」としきりに聞かれることがある。 一緒に思い出すのを手伝ってみるが、あまりにもヒントが少なく、分ってあげられない。

昨日は、鉄腕ダッシュを見ていて(昔から好きだった【若いでしょう~】)突然、「あのさ、北のほうから出てくるヤツなんって言う名前だったけ」ここから問題で、
最初に言い出したのは、太一君が炭焼きがまで耐火煉瓦を焼いているときだった。
盛んに言っていたのは、太一君と武蔵丸が車に乗ってリクエストをしているときで、


こちらが考えたのは 武蔵丸→北の海
太一君の帽子が北の国からの吾郎さんがかぶってたのと同じだから→北の国から

結局どちらも正解ではなかったらしく。断念してしまったようだ。

もう少しヒントがあれば何とかなるのになぁ

日曜の夜、母がお風呂はいって来るねと声をかけて風呂に入った。

これが全ての元だった。

母が風呂から上がると「お風呂いつ?」「※田中さんて名前なんつーんだったけ?」

※田中さん:うちに来る入浴サービスのヘルパーさんで覚えやすかったのか彼女の名前だけは忘れない

「お風呂は水曜日」「田中さんの名前は田中さん」
どんなに説明しても、この質問がエンドレスで寝るまで続いた。

翌朝、目が覚めてからもこの質問が続き、午後になると「風呂屋が来るから、用意して待っておくんだ」と言い出した。

まだ月曜日で水曜にならないとお風呂隊は来ない。困ったぞ。こんなことなら退院した日にお風呂隊を呼んでおくんだった。
日曜日 今日、旦那の実家からTEL があり、両親を面倒見てくれている近所の夫婦がいる。(旦那は、一人きりなのにうちの両親と同居してくれているので、その夫婦には頭が上がらない。)

その夫婦の息子が亡くなったというTELだった。

先月2月11日に結婚式を挙げ、前日の土曜日に新妻の荷物が全部運び込まれ、
さあこれから。という日曜の朝、急に苦しみだし、救急車で運んだものの間に合わなかったらしい。26歳の速すぎる死だ。

生き残っても、父のように絶対誰かの手を借りないと生活できないようでは、新妻には酷な話である、50年近くそんな生活を強いることもかわいそうだ、亡くなってしまった方が、彼女には楽だったかもしれない。
父を見ていてそう思うが、当然、そんなことにならないのが一番で…。

なんとも気持ちの持って行き場が無い話だ。
土曜日 退院する。\(●^o^●)/

病室に行くと、半分眠っている様子。(これを起して着替えさせて連れて帰るのはことだな…。)

いて~いて~言うヤダロウさんを起し、パンツ、ズボン、シャツを着せて装具、靴を履かせて、車椅子に座らせた。

「昼ご飯を食べてから」なんて言うと会計が遅くなり帰れなくなるので、昼食の前に帰りますと申告していた。

着替え終わった所で、レストランでご飯食べようと出かけた。
母のマグロ丼、うどん、私のオムライス、旦那のナポリタン全てに手を出し、今朝までおかゆを食べていた人とは思えないほど食べた(量は1人前には程遠いが)

食後、会計に行ったらまだ計算終わってなかった(だから朝ご飯の後って言ったのに)まだ?まだ?言うヤダロウさんを横目に、「後日払いに来ます」と母は言い切り(カッコイ~)帰って来た。

土曜日なので訪問入浴の日だが、退院当日なので止めておいた(後で泣きをみたが)のでこれで帰ってベットに横にさせれば完了と思っていた。

母の姿がちょっとでも見えなくなると母を呼び(それも連呼)何のよう?と母が来ればただ「痛い」それだけである。

それが夜眠るまで続いた。(11時までやっていたそうである)最後は疲れて眠ったらしい。 入院中さかんに、眠剤もってこい。眠剤持ってきて。と言っていたが、胃ロウから直接入れるので気がつかないんだろうと思っていた。ところが、どうやら飲まずに寝ていたらしく、眠剤を要求せずに眠った。このまま飲まずに寝てしまえればいいのだが。
金曜日

明日退院だけど、今だヤダロウさんには言っていない。騒ぎそうだからだ。
まわりの付き添いさんたちは知っていて良かったねと口々に言ってくれる。

そんな今日、朝母が病室に行ったら、隣の部屋に移ったよと言われあわてて隣に行ったらしい。

いまさらなんで引越し?隣の怒鳴りジジィは相変わらずうるさかったので、ありがたいが、それならうちは後1日すれば、帰ってしまうのでお向かいを引越しさせてあげればいいのに…。
夕方、車椅子に座らせると、またトイレに行くと言い出した。(ToT)/~~~だれか~しぶしぶ連れて行ったらンコがでた!夕飯前にスッキリした。
部屋に帰ろうとすると以前の部屋の前で「俺の部屋はここだ。どこ行くんだ。」と言い、自分の部屋を理解していることを発表した。

違うの今朝変わったのと説明し、新しい部屋で夕飯を食べさせた。

明日は退院、どうなっちゃうのだろうか。
ヤダ様の隣に「怒鳴りジジィ」(byヘルパーさん命名)が入院してきた。

その名の通り「イテーんだこのやろう」「バカヤロウ」「殺される~~」「メシなんかくわねぇってんだろ」」「テメーぶっ殺すぞ」「殴るぞ」ずーっとこんな調子である。

家でもこんな調子なんだろうか??

ヘルパーさん達は今日は早く寝た者勝ちだね。と言い残し部屋を出て行った。
ヤダ様は呆気にとられたらしく、いつもは連発する「痛い」を1度も言うことなくあっという間に夕食を食べてしまった。

「あ~家に帰れないかな」 今日だけはよくその気持ちわかるよ。
なんだか、夕方に行くと意味不明のことを延々と話し始めることが多い気がする。
「宇都宮の駅ビルの~」ちゃんとしたストーリがあるわけでなく、聞いていても訳がわからない。
 部屋にTVがあるわけではなく(見られるような人がいないので)日中何も音がしないのは刺激にならないとの理由で、ラジオがなっている事があるが、ここ2.3日消えている。TV・ラジオが元で話し始めたのではないとすると…。

何が元でそんな話を始めるんだろうか??昔のことを思い出しているのだろうか???