到着した場所は港からそう遠くない場所。
家の土台だけが残っているところでした。
土台しかない。その土台の中にある泥かき・瓦礫の撤去だったのです。
その日作業を行ったお家の土台の中にはお花が供えられていました。
私達のグループは8人で作業に入りました。
地元の方、和歌山の方、東京の方3人、岡山の方、仙台の方、そして私。
現場に到着して地震があった際に避難する場所を教えてもらいました。
トイレは仮設トイレのほかに近くに被災した店舗を簡易的に直したところを利用できました。
初めに、作業手順を教わりました。
大きな瓦礫やゴミを手で取り除き、その後はスコップで泥を土嚢に入れて行きます。
ゴミを分別しながら進めていきます。
作業は1時間に1回の休憩を入れながら始まります。
お昼は1時間の休憩をもらったので、作業していた場所から見えた船に近づいてみました。
地元の方の話によると、この船のある場所から海まで1kmあるそうです。
こんなにも大きな船が流されてくるなんて想像つきません。
その他にも、被災車両が積み上げられていました。
車両がすべて茶色。
この付近を見ていると多賀城とは明らかに違う点。
車両も家屋も津波の被害だけでなく、火災の被害も多く見受けられました。
津波のみならず火災も重なったなんて。
被害の悲惨さを目の当たりにしました。
作業は3時頃に終了となります。
作業が終わり、またボランティアセンターに戻ります。
帰り道は、送迎の方より「今日初めての方いますか?せっかくこちらまでいらっしゃったんですから、少し港の方を回りますね。」とおっしゃってくださいました。
こちらも津波の被害が大きかったことが分かりました。
「今日はずいぶん水が多いですね。」なんて話していて、今にも道路が冠水しそうな感じでした。
まだまだボランティアの必要性を感じました。
戻ってからは、みんなで今日使った道具を洗いその日の全作業が終了です。
うがいを用意してくれていて、手も洗わせてもらいました。
すると「あちらにおでんがあるので良かったらどうぞ。」と。
ジャガイモが入ったおでんでとーっても美味しかったです。
ここまでで夕方4時。
予想より早くに終わったので、帰り道遠回りしたときに見つけた復興屋台村に寄りました。
地元でお金を少しでも使って復興に繋がればいいなと、夕飯をここで食べようと思ったのです。
ちょうどこの日がグランドオープンだったようです。
たくさんのお店が並んでいました。
けれど残念ながら飲食店はほとんどのお店が17時オープンだったので泣く泣く諦めて帰りました。
でもやっぱり気仙沼で買い物して帰らなきゃ…という思いにかられ道の駅大谷海岸に寄ってみました。
少しですが買い物してきました。
買おうとしたらおじさんとかち合っちゃって(汗)
私がほしそうな雰囲気を感じ取って「やっから。」(方言:あげるから)と(笑)
すみません1つ譲ってもらっていいですか?ありがとうございます。
と伝えてレジに行こうとすると、そのおじさん野菜のたくさん入ったカゴを持ってそのまま車へ。
あれ?もしかして会計済のものをもらってしまったの?と思い、慌てて「あっあのっお会計は・・・?」
と言うと、「いいがら。やっから。」と言って私の持っていたネギから値札を取ってまた「やっから。」と。
驚いて「えぇ~?!いいんですか??ありがとうございます!!!」とお礼を言うと、近くにいたおじさんが
「いがったごだ(笑)(方言:よかったね)」って(笑)
ネギを分けて下さったおじさん。
このネギを他に2束カゴに入れていて、他にもホウレンソウやニンジンがたくさん入っていました。
もしかしたら道の駅に野菜を卸している方だったのかもしれません。
見ず知らずの私に野菜を分けてくださって本当にありがとうございます。
また来たときには必ず寄らせてもらいます!!!
初めてのボランティアでしたがこんな私でも少しは力になれたのかな?と充実した1日となりました。
まだまだ必要とされるボランティア。
気仙沼だけでなく他の地域でも必要とされていてこれから寒くなるにつれて減っていくのではないかと思う。
12月は仕事が忙しくて、またすぐに行くことは出来ないけれど年明け仕事に余裕が出来たら
また必ず参加したいと思います。
ボランティアに参加される方はあまりブログに詳しく書かれたりしない人が多いかと思いますが(偽善者っぽくなるしね)
偽善者だなんて言われようが、必要とされる場所へ行っただけで誰に何を言われたって関係ありません。
自分の感じたこと、自分がするべきだと思ったことをしただけ。
ボランティアへ参加した人がエライ訳でもない。その人その人の出来る範囲内でやればいいのだと思います。
でも人間は悲しいもので忘れゆくものです。
そうでなきゃいけないものだとも思います。
どんなに頑張ったって震災のことは記憶が薄れていきます。
あんなに津波の被害があって危険な場所でも、店や家は修復し復興へと向かうのです。
忘れてはいけないけれど、ある意味忘れることで前へ進めることもあるのだと感じます。
私はお友達の行動で、自分も何かしなくちゃと思いました。
このブログをいた人が少しでも何かしよう。しなくちゃ。
まだまだボランティアの必要性があるのだ。
私でも出来るかもしれない。と。
何でもいい。何か少しでも感じてもらえたらいいな。と思い
私の初めてでたった1度のボランティアではありますが、してきたことや町の様子を伝えさせてもらいました。





