JUYOしていると気づくこと <愛するということ・その2> | mieのブログ まんなかぐらし

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話せば長ーい
わたしの体験記

 

こんにちは照れmieです。

 

 

 

先のブログからの続きです。

JUYOしていると気づくこと <愛するということ・その1>

 

 

「愛するということ」

この本を読んで。

 

 

ざっくりだけど、わたしの「愛する」という言葉の解釈が

「自分や他者を深く知る行為」

というふうに変換された。

 

 

 

 

あれ?

 

「自分を深く知る」って、

この1年にわたしがやってきた「自分に向き合う」ってことじゃないかな?

自分の行動、思考、言葉それらを

俯瞰して

俯瞰して

俯瞰して

俯瞰する

気づく

気づきっぱ。

ヨガやJUYO講座で言われてることじゃないかな?

 

 

「他者を深く知る」って、

2年前に習った「ibマッピング」にリンクしてるんじゃないのかな?

ジャッジを入れずに、相手の話を聴く。

質問する。

 

 

このように理解し始めてから、

最近自分に起きたことを思い返すと

「愛すること」

「愛されること」

が、わたしのまわりにたくさんあったんだなぁーー!!

と思える。

 

 

それなのにわたしったら

子供達があれこれ質問してきても、

「知らなーい」

「わかんなーい」

何かセミナーに参加しても

「もうそれ知ってるー」

 

 

これこそ、自分を閉ざす言葉だったし、

ぜーーーんぶ、わたしがわたしの選択で突っぱねていた。

 

 

「愛されなくていいもーーーん」

(究極の拗ね)

って。

 

 

 

さらにそれが無意識だったゲッソリとは。

驚愕です。

いや、薄々は「わたし、拗ねてる??ようだ」とは

気づいていましたが、「何に」かは

分からなかった。

 

 

 

今、これをタイプしながら

左の脇辺りがチクチクするんです。

 

「あー、わたしイタい人だったなぁ〜」

 

と思ったりしてます。

 

 

 

 

そんなこんなで、

1年かかって気づいたこと。

さらに<その3>に続きます。

 

 

 

 

 

虹虹MAHALO虹虹mie